■ [ゼミ]授業が好きな院生
世にラーメン評論家というのがいます。彼らは、数多くのラーメン店を食べ歩くことによって、どこの店がうまいか、何故うまいか、と言うことに関して博学な知識を得ます。しかし、彼らがうまいラーメンを作れるかといえば、話は別です。このことはラーメンに限らず、評論家と作家との違いの違いです。出来上がったものを消費することと、それを作ることとは別なことです。しかし、それを分からない人は少なくありません。
研究の世界でもいます。私の知り合いにも、やたら文献を読んで博学な知識を持っている人がいます。そして、他人の研究に対する批評は傾聴に値する場合が少なくありません。ところが、全く、論文を書いていないんです。本人は低レベルの論文は書く気にはならない、と言っていますが、私はそうは思いません。おそらく、論文を書けないんです。それが証拠に、何かの加減で書く論文は論文とは言えない超低レベルな駄文です。人の研究を批評するレベルの高さと、その駄文のギャップは、ラーメン評論家の批評と、ラーメン評論家の作ったラーメンに対応できます。
大学院にもたまにいます。やたら講義を取りたがる院生さんがそれです。小学校、中学校、高校の延長で、受け身で勉強することが「良いこと」だと植え付けられています。大学で卒業研究をしっかりとやっているならば、研究と「お勉強」は違うことは分かるのですが、卒業研究さえも受け身の大学も少なくありません。そのため、大学院になっても、授業をいっぱいとって「お勉強」をしているんです。
大学院生であれば、お勉強と研究の違いは半年もたてば分かるはずです。それが分からない原因は、研究をしていないからです。もし、研究をしっかりやっていれば、講義を必要以上に聴講するエネルギーは残っていないはずです。私は中学校時代より乱読をしました。高校時代にはカントやヘーゲルを背伸びしながら読んでいました。しかし、それは大学の2年ぐらいまでです。卒業研究が忙しくなると、そんな暇はありません。大学院時代は、研究の必要上で神経の疲れる本を沢山読まなければならないので、研究以外の時間に本を読もうとは思わなくなります。自分の出せるエネルギーの全てを研究に費やして、やっと、何とかものになるものが生まれるものです。私の記憶では、大学院生時代、研究以外で読んでいたのは星新一のショートショートぐらいだったと思います。
名著、古典といわれるものでさえ読めなくなるんですから、ましてや大学の講義なんかパスです。何故かと言えば、大学院ぐらいになれば、大学教官のレベルも品定めできるはずです。学部生であっても卒業研究をしっかりやり、研究の入り口に立てば、大学教官の品定めが出来ます。ましてや大学院生ともなれば、当たり前です。大学の教官100人がいた場合、そのうち10人以上も研究上で得るものが多いと思うとしたら、それは研究能力がない証拠です。研究能力があれば、数人のレベルに限られるはずです。少なくとも、専門性の高い研究に関して言えば、それは確かです。そして、その中で最も得るものが多いと思う人を指導教官に選べば、わざわざ他の教官の講義を聞く必要は殆ど無いはずです。百歩譲っても、研究の時間を削っても聞く必要性はありません。
■ [親ばか]食事の躾
私は食事の時、無口で早食いであることを家内に注意されます。特に、早食いに関しては、私の体を気遣ってよく言われます。しかし、思い出すとうちの母からは、それほど言われたことがありません。子育てをすると、その理由が分かる気がします。
今の息子は、やたら喋ります。とにかく、いつでも喋っています。とても半年前は殆ど喋らなかったとは思えません。この状態は食べるときも同じです。一生懸命になって我々に喋ります。ところが、そのため食べるのが遅くなります。おそらく何も叱らなければ、食事時間は1時間を超えると思われます。そのため、「喋らないで食べなさい」、「そんなちょっとづつ食べていないで、ガバッとすくって食べなさい」と叱ります。そんな時、母が何故私の無口と早食いを叱らなかったか分かります。おそらく、共稼ぎであった母は、今の我々以上に、忙しく、とにかく私が早く食べることを求めていたと思います。そして、我々以上に徹底的に「喋らないで食べなさい」、「そんなちょっとづつ食べていないで、ガバッとすくって食べなさい」と叱ったのではないでしょうか?その結果として、私の食事中の無口と早食いが生まれたのだと思います。だから、その負い目があるため、叱らなかったと思います。そして、考えます。
私は息子の遊び食いは叱りますし、手で食べることは叱ります。しかし、彼が話しかければ楽しく喋るようにします。そして、楽しく食事をするようにしています。もちろん、「喋らないで食べなさい」、「そんなちょっとづつ食べていないで、ガバッとすくって食べなさい」と言いますが、そんな時、上記のことを思い出し、叱りすぎないように歯止めをかけます。