■ [う~ん]会議
今、大学では独立法人化のためにあたふたしています。本学でも昨日は全学集会が開かれ、独立法人化に向かっての説明を学長が説明していました。パワーポイントを使ってコンパクトにまとめられた、よいプレゼンでした。内容は極めてラディカルです。説明の後、質疑が行われましたが、そこで出た質問は些細なことばかりでした。さらに、学長からは補足説明がなされましたが、それまた従来の大学にとっては驚天動地の説明でした。しかし、それに対してポイントがあった質疑はありませんでした。
学長は誠意を持って説明していたと思います。何故なら、あれだけラディカルな提案を、オープンにして説明しているんですから。ところが、受けての教官集団は、その意味を理解していないように思えます。理解していないから、あれだけ平穏に受け止められるのだと思います。なぜ理解出来ないかというと、暗黙の内に、ある前提をおいているんです。例えば、あることを決める場合、従来はある委員会で決めていたとします。その委員会が従前の通り存続すれば、その委員会で決めると勝手に思いこんでいるんです。しかし、独立法人化に関係する法規を見れば、そうではないことは明らかです。つまり、名称のみが残り機能が変わるのに、名称が残ったということから機能が残ると勝手に思いこんでいるんです。こんなことは歴史上、なんどもありました。急進的な改革を行ったカエサルは暗殺されました。しかし、それを継いだアウグストスは平和的に改革を行いました。彼は、一つ一つでは名誉職的な役職を得ることを積み上げました。あそれらは実態がないと思いこんでいる人たちにとっては、どうでもよいことです。しかし、自分たちが万古普遍と思っている前提は、そのような小さなものの積み上げでしかないことを理解していません。一つ一つでは名誉職であっても、それらが複合すると巨大な権力を形成することが出来ます。
もちろん、学長の説明したものの本当の姿を分かっている人が私だけだとは思いません。私のようにだまって承っていた人がかなりいたはずです。少なくとも、質問者の中で、たったお一人だけは、ラディカルな改革案であることを理解していたからこそ出る質問をされている方がいました。しかし、現在進行していることをある程度知っていたとしても、ある意味で歴史の必然であればどうしようもありません。だから、私も黙って見ていることにします。来年度から、どれだけ変わるのでしょうか?