お問い合わせ  お問い合わせがありましたら、内容を明記し電子メールにてお問い合わせ下さい。メールアドレスは、junとiamjun.comを「@」で繋げて下さい(スパムメール対策です)。もし、送れない場合はhttp://bit.ly/sAj4IIを参照下さい。             

2004-12-12

[]子どもを信じるということ 12:28 子どもを信じるということ - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 子どもを信じるということ - 西川純のメモ 子どもを信じるということ - 西川純のメモ のブックマークコメント

 子どもを信じると言いながら、信じられないことは多いように思います。例えば教育研究にも現れます。多くの実証的研究では、実験群と統制群に分け、実験群には教師が色々とこまかな仕掛けをします。そして、教師が思ったような行動をデータ化し実証します。

 我々は実験群と統制群に分けません。それは子どもは実験動物ではないので、善い指導法と悪い指導法に分けて教えることは倫理的に出来ないからです。それと、実験群と統制群に分けたとしても、実は、それほど統制できないということは今までの経験で分かっているからです。でも、もっと根本的な違いは、我々は狙ったことを出そうというより、子ども達の姿を通して自分たちが願っていることは何なのかを知ろうとしている点です。

 我々も最低限の仕掛けをします。でも、それは重要なことではないと思います。最も重要なのは、子どもを信じるという気持ちを持つことです。そうすれば、子どもは我々の思っている以上の素晴らしいことを連発してくれます。

 世の中には、○○メソッド、○○計算等の有効な教材があります。我々は、その教材の有効性を疑うつもりはありません。でも、それが全員に有効か、また、個人であっても、常に有効であると言う人がいたら、それは絶対に違うと断言できます。我々は、何が有効であるかを本当に決めることが出来るのは教師ではなく、子ども一人一人だと思います。そして、子どもはそれが出来ると信じています。そして、今までの研究で、出来ることを明らかにし続けています。だから、仕掛けは最低限度に押さえ、子ども達の姿からよりよい教育の姿を探ろうとしています。教師がよりよい教育の姿を定め、それを実験群にして、統制群との比較の中で実証するという研究とは全く逆です。

 大学教育でも同じです。どうも、大学の教師は、学生は○○を学び、次に、○○を学ばなければならないと考えている人が多いように思います。でも、私は思います。そんなことを言えるだけのデータがあるのか!そして、そのような学び方をして、もし結果が悪かったら責任を取れるのか!だから、私は多種多様なプログラムを用意し、学生さんが選択できるようにすれば、自ずと賢明な選択をすると信じています。ただし、教師が、というより大学が何もしなくても良いかと言えば、違います。それはクラスにおける信頼と放任の取り違えと同じです。大学ははっきりとした目標を与え、それを学生に内在化させなければなりません。教員養成系大学の場合、その目標は教員養成です。つまり、大学は教師になりたいという目標を学生さんに強く伝えることが仕事だと思います。それさえ成り立ては、多種多様なプログラムを用意すればいいはずです。バカな授業は最終的に淘汰されるはずです。(私のこの考えが楽観的に過ぎる、と思われたとしたら、それは子どもを信じられない、ということです)

[]三泊四日のツアーのお誘い 12:28 三泊四日のツアーのお誘い - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 三泊四日のツアーのお誘い - 西川純のメモ 三泊四日のツアーのお誘い - 西川純のメモ のブックマークコメント

 我々の考えを理解するもっとも善い方法は、研究室に所属し、2年間、「期待しているよ」の拷問に耐え、私を踏みつけるようにして、もっと高い境地に達するに勝る方法はありません。でも、全ての人がそれが可能というわけではありません。本を読み、メールで疑問をぶつけ、私と議論するというのもがもっとも現実的な方法の一つです。でも、その方法よりいい方法、でも、ちょっと大変な方法があります。それは、うちの研究室に二泊三日(出来れば、三泊四日)泊まり込みで来ることです。

 その期間、私は「延々」と語るつもりはありません。私も忙しい人間です。では、それだけの時間をかけて何をするかといえば、院生さん・学生さんとふれあって欲しいと思います。そのことによって得るものは何か?

 第一に、我々が本や学術論文で示しているものが、本当であることが分かります。

 第二に、ゼミ生の現職院生さんが語る言葉を通じて、学者のたわごとではなく、実践に本当に意味を持つことが分かります。

 第三に、我々の本で「○○である」とか「○○となった」とさらりと書いている言葉の背景に、どのようなデータの厚みと、学術的な手法があるかが分かります。

 第四に、雰囲気が分かります。これはちょっと説明がいります。我々が主張していることを本当に理解しているためには、学習者観・授業観・学校教育観が理解してもらわなければなりません。それらは「子ども達は有能である」という言葉に凝縮されますが、その言葉の意味を分かるためには、それを実践している我々のゼミの雰囲気を「感じて」もらうことが手っ取り早いと思います。

 でも、現場の仕事の中、二泊三日(それも土日ではなく)くることはとてつもなく大変なことです。でも、でも、それを来るような奇特な人は少なくありません。16日から群馬からHさんが来ます。院生の人に、そのことを話したら、「あ~、以前の○○さんのように接すれば良いんですよね」と直ぐに分かってもらいました。17日は研究室の忘年会ですので、参加してもらおうと思います。

追伸 ちなみに、大学には研修センターがあります。センターの空きがあり、休館日でなければ1泊朝食付きで二千円以下で泊まれます。

[]今年も間違えました 12:28 今年も間違えました - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 今年も間違えました - 西川純のメモ 今年も間違えました - 西川純のメモ のブックマークコメント

 毎年書いていることです。

 毎年、その年の院生さん、学生さんの研究成果がまとまる頃になると、「こんな凄い研究成果が出るのは私の生涯で何度あるのだろう・・」と思います。そして、「来年は、これほどまでは無理だろうな~」と思います。でも、今年も、その予想を裏切られました。

 今年の修士2年、修士1年、学部4年の研究は凄い!この成果をどのように世に還元したらいいか、頭を悩まします。また、OBの方も、「期待してください!」と挑戦状をたたきつけて、現場実践で大学院での成果を乗り越える成果を「自慢」する方もいます。それらは、来年の1月8日の臨床教科教育学会で発表されるはずです。現ゼミ生の方の成果のすごさは了解済みですが、OBの方が、どれだけウルウルさせてくれるか期待で、ワクワクです。

追伸 現在、現場実践研究でF県に戻っているOさんから以下のメールを最近いただきました。ウルウルしてしまいました。自分の愚かな囚われから解放してもらえました。Oさんを心配している関係者の方、ご安心あれ!

 『先週の授業の中で成績上位の生徒と成績中位の生徒の会話の中で思ったことです。成績上位の生徒が自分の考えを確かめたり発展させたりするために成績中位の生徒と交流している場面がありました。練習問題を解く段階での生徒同士の交流における役割は,教え手・学び手の場合が多くなりますが,学校知を構築する段階で生徒同士が交流する場合,単にどちらかが教え手・学び手になるだけではなく,自分の考えを確かめる,一緒に考えを作り上げるという関係が多くなると思います。とても当たり前なことですが,成績上位の生徒にとって,学び合いは教える役目になるだけではない,自分の考えを構築するうえで大切な場であるということになるでしょう。1つの会話の中で,教え手・学び手が入れ替わりながら知の構築がなされていくと思います。こうした会話をしている生徒同士の成績は同程度であるとは限らないということを立証したいと思いますが,今のところは近くの生徒同士で話し合っているだけですので,話し合う相手が固定しています。また,成績下位の生徒については積極的に交流しようという場面はあまり見られません。とにかく,学び合いが広がる環境作りをしていきたいと思います。

 うれしいこともありました。今まで,ノートに落書きばかりをしていた生徒が自分で課題に取り組み自分に納得できる考えをつくったことをうれしそうに報告してきました。単に教えてもらうだけよりも子どもは自ら学びたがっていると改めて感じます。更に,この生徒が,みんなと学び合うことは楽しいと感じられるような学級の文化ができれば,と思います。

 臨教セミナーの原稿を添付します。ご指導よろしくお願いいたします。』

追伸 Gさん、Mさん、Iさんへ、Oさんと議論したくなったでしょ!