■ [大事なこと]ぶれない(その2)
シンポジウムでのテーマは、授業力をどうやって次の世代に伝えるか、ということです。そこで語っている私のスタンスは、平常の授業と同じ立場、同じ論理で語りました。まず、第一に、我々は教科学習を一番大事にします。だって、学校教育の殆どを占めているんですから。我々は教科学習と生徒指導は表裏一体であると主張しています。そして、生徒指導は教科指導でしなくて、どこでするんだ!と主張します。教師の職能形成も同じです。教師の職能形成の場は様々です。官製の研修、また、様々な地元のサークル、そして、全国規模の研修会があります。でも、本当に大事なのは、毎日毎日です。
教師の授業力アップの最大の教師は誰でしょうか?校長でもありません、教務主任でもありません、学年主任でもありません。ましてや、たまにくる指導主事、初任者研修の退職校長でもありません。それは子どもです。子どもは実に厳しい指導者です。私の場合、特に、厳しかった。私の初任者での教え子は、「分かったふり」、「聞いたふり」を出来ない子ども達です。少しでも手を抜けば、授業が成り立ちません。よく、コメディアンが、一番の修行の場は「ストリップ劇場」だと言います。よく分かります。私の子ども達と同様に、少しも容赦がありません。もし、1日6時間の授業をすると言うことは、6時間の子どもの指導を受けることです。そんな厳しい指導を受けたら、復習は大事です。そして、それをふまえた予習は必須です。だって、それをしなかったら、翌日は悲惨な状態になります。どうやって、予習・復習したらいいでしょうか?もちろん、子ども達は帰宅しています。では、学校の研修会、官製研修、サークルがその場になるでしょうか?絶対に否です。だって、そんな会は、どれだけの頻度で開催されますか?毎日、毎日の授業の予習・復習が月の何のかの研修でやれるわけ無い。今日の復習は今日やらねば、明日の予習は今日やらねばならないのです。では、私の場合はどうしたか、基本は自分です。でも、その自分の毎日の予習・復習を支えてくれたのは何か、それは、職員室の脇の御茶飲み場です。そこで雑談の中で、愚痴を言い、元気をもらい、そして、アイディアをもらいました。それでも解決できない場合、先輩から「西川、今日は飲みに行くぞ!」と引っ張られました。今でも思い出します。私が20代後半の時、30代中盤の先生が、早めに職員室から私を連れ出して飲みに行くときのことです。その先生は、教頭先生に「○○(その先生の名前)一等兵、西川二等兵の指導のため、いち早く○○(学校近くの飲み屋)に研修を深めに行きます!」と言って、ニコニコして行きました。教頭はニコニコして「ご苦労様です!」と言っていました。今考えれば、あれが私を育てた職場です。だから、私はどんな研修会よりも、職場が大事だと信じて疑いません。
では、そんな職場は何故なりたつのでしょうか?その先輩のキャラクターに帰すこともできます。でも、違うと思います。どんな職場にいる先生も、りっぱであり、愚かであります。滅私奉公であり、利己的です。その割合、その度合いは、古今東西変わりありません。教室も同じです。子どものキャラクターによって、そのクラスにおける学習の正否を理由づけることも可能です。でも、どんな教室にいる子どもも、有能であり、愚かであります。よい子もいれば悪い子もいます。その割合、その度合いは、古今東西変わりありません。問題は、彼らのどの面を表出させ、表出させないかの違いです。それが出来るのは、教室では教師であり、職場では管理職です。
私は、単なる教材論を下らんと思います。同様に、教師の職能形成を、単なる職能論で論ずるのは意味がないと思います。その集団のあり方、そして、その場の管理者で理解すべきだと思います。我々は、クラス・子どもを語ります。でも、全く同じ論理で、職場・教師を論じることが出来ます。
追伸 そのシンポジウムの参観者からメールを頂きました。少なくとも、お一人の心に、私の願いが伝わったと信じています。