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2007-01-08

[]なんか違う(その2) 16:10 なんか違う(その2) - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - なんか違う(その2) - 西川純のメモ なんか違う(その2) - 西川純のメモ のブックマークコメント


 あれからもう一度考えてみました。おそらく「特別支援の必要な子」の定義が曖昧だからギャップが生じるのだと思います。私の定義は、「一般の教員が担当するには、能力的もしくは時間的な制約で対応できず、普通学級での学習において医師・介助員の補助が必須の子ども」という意味です。一般の狭義定義は「自閉症、アスペルガー、境界児、ADHD等の子ども」だと思います。一方、広義の定義は「学校生活で困難を感じ、自閉症、アスペルガー、境界児、ADHD等に近い症状が見られる子ども」だと思います。

 私の定義だと、正真正銘の自閉症、アスペルガー、ADHD等であったとしても、普通学級の学習において能力的にも時間的にも一般の教員が担当できる子どもは、特別支援の必要な子ではありません。そして、私は、自閉症、アスペルガー、境界児、ADHD等の子どもの殆どは、もし、『学び合いの文化が成立したならば』、普通学級の学習において能力的にも時間的にも一般の教員が担当できると考えています。おそらく、圧倒的な教員の常識とかけ離れたことに関して私は確信があります。

 ところが現状は、「学校生活で困難を感じ、自閉症、アスペルガー、境界児、ADHD等に近い症状が見られる子ども」がいつの間にか、「自閉症、アスペルガー、境界児、ADHD等の子ども」になり、最終的には「自閉症、アスペルガー、境界児、ADHD等の子どもだから、普通学級での学習において医師・介助員の補助が必須の子ども」になってします。そして、それは「私が教えられないのはしょうがないことで、悪いのは医師・介助員の補助が付かないから」と合理化される免罪符を教師に与えます。

 私は、「一般の教員が担当するには、能力的もしくは時間的な制約で対応できず、普通学級での学習において医師・介助員の補助が必須の子ども」がいることを疑いません。でも、そんな状態の子ども普通学級にいるべきではない。その子にとって、いることのメリットは無いと思います。私は普通学級で学ぶ最大の意義は、社会の縮図たる色々なメンバーと関わる経験を持つことだと思います。もし、クラス学習において介助員の介入が本当に必要だったら、その「最大の意義」を得る機会がないのですから。

 よく「その子にとって普通学級ではなく、専門の学級で学ぶ方が望ましいが、親を説得できない。何が何でも普通学級で学ばせろとかたくなだ」ということを聞きます。でも、それを聞く度に「ホンマカイナ~」と思います。そして「望ましいのは、その子にとってではなく、学校、特にあなたにとってではないかな~」とも心の中で思います。だって、親は教師以上にその子のことを思っているはずです。だから、正当な説明をすれば分かるはずです。分からないのは、正当な説明が出来ないからです。

 以前のメモに書いたとおり、私は何人もの子どもの退学の手続きをしました。定時制高校を退学することは、その子どもにとってメリットは何にもありません。しかし、在る状況においては、退学するというのは、ごく当然の結果です。そのため 全ての情報を徹底的に親に伝えると、親は泣きながら「退学させて欲しい」と願います。恐ろしいことに、それが担任の仕事の一つなんです。自分の子どもがどんな子どもかを一番知っているのは親です。目を背けたり、合理化したりしても、本当のことを一番知っているのは親です。学校生活において、当然の判断を覆すことが出来る方法を考えられるとしたら、それは教師です。その教師が「無理」だと結論すれば、親が出来ることは当然の判断を下すしかありません。そのような経験があるので、その子にとってメリットがあることを親に説得できないとしたら、それは教師が嘘をついているとしか考えられません。

 親は教師以上に子どもを見ています。教師が、「自閉症、アスペルガー、境界児、ADHD等の子どもだから、普通学級での学習において医師・介助員の補助が必須の子ども」と判断しても、自分の子ども自閉症、アスペルガー、境界児、ADHD等では無いと信じている親はいるはずです。だって、そのような親はその手の本を教師以上に読んでいる可能性があります。 従って、正当な議論をすると、教師を言い負かすだけの知識を持っています。また、「自閉症、アスペルガー、境界児、ADHD等」であることは理解しているが、「一般の教員が担当するには、能力的もしくは時間的な制約で対応できず、普通学級での学習において医師・介助員の補助が必須の子ども」とは認識していない親はいると思います。だって、親である自分とはコミュニケーション取れて家庭生活できていることを知っているのですから。 もちろん、親の判断が全て正しいというわけではありません。でも、一人の子ども人生を大幅に変更するかも知れない判断を求めているとき、そのような親に対して正当な説明が出来ないならば教師の負けです。ただし、そんなことを専門書の知識で言い張っても無理ですよ。先に書いたように、学校での状態を徹底的に話せばいいんです。教師の捉えた学校での状態が正しいならば、親は泣きながら「そのようにして欲しい」と言うはずです。もし、親が「学校ではそうなのかもしれないけど、家ではそうではありません。また、○○のようなこともありました。また・・」と反論したならば、その子の問題と言うより、その子のおかれた学校環境の問題である可能性があります。そのような親を説得する根拠として、文部科学省の「6.3%」の統計の根拠は、あまりにも脆弱な根拠にしかすぎません(嘘だと思う方は原典を読んで、その方法論を吟味してください)。ありゃ「教師の身内だけに通じる数字」だと思います。