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2007-11-26

[]教師の力量 22:38 教師の力量 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 教師の力量 - 西川純のメモ 教師の力量 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 今回の学生さんへの課題と関連して、過去のメモに関連することを再度メモります。教師の一斉指導における力量と『学び合い』との関連を整理します。

●一斉指導で「ものすごい」力量のある先生

 『学び合い』をまず失敗しません。なぜなら失敗しそうになると、うまい具合に一斉指導のテクニックを併用します。そして一斉指導で力量のある先生は、たいてい、人の扱いがうまい。子どもたちを乗せて、おだてて、挑発することがうまいんです。だから、目標の設定がうまいんです。

しかし、目標の設定がひねりすぎる傾向があるので、そこで引っかかるかもしれません。そして、なによりも一斉指導との併用から逃れにくいという傾向があります。実際、それで成功している部分もあるので、それがベストだと思ってしまいます。それに、今まで積み上げたものを捨て去るには抵抗が多い。そこで、併用がベストと考えれば合理化できます。が、この段階にとどまっている限りは、最高の段階までは至りません。なぜなら、もともとの考え方が違うからです。

例えば、「教科学習の目的は教科の内容を獲得する。そして、それを通して人格の完成がはかれる」と考えるか、「教科学習の目的は人格の完成である。そして、それを通して教科の内容を獲得する。」のどちらをとるかが違います。また、「教師の指示がないと、子どもは、どうやって解決するかを分からない」と考えるか、「教師の指示がないと、子ども「たち」は、どうやって解決するかが分かる」と考えるかが違います。いずれも、前者は一斉指導の考え方で、後者が『学び合い』の考え方です。これは両立できません。例えば、前者の立場に立っている限りは、すばらしい教材を教師が開発し続けようとします。ところが、『学び合い』の最高段階に達するには、自分の開発した「すばらしい教材」を子どもに与えて「もっとすごいものを開発せよ」と求める発想が必要です。

いずれにせよ、一斉指導で力量のある先生は、『学び合い』で問題を生じません。そして、先に述べた壁を乗り越えると、一番すごいことをやらかすのが、このタイプの先生です。だって、先に述べたように、『学び合い』で必要な能力がある人ですから。

●一斉指導で力量の「全く」無い先生

 世の中には、担任をするたびに学級崩壊を引き起こす先生がいます。残念ながら、その先生は『学び合い』でも失敗します。なぜなら、『学び合い』では子どもの力を活用するのですが、子どもを掌握できないからです。ただし、補足しますと、学級崩壊のクラスを引き継いだ力量のある先生の場合は、問題なく解決します。なぜなら、学級崩壊のクラスの大多数の子どもは、「この状態を続けるとマズイ」ということを理解していますから。すぐに、変わります。

●上記以外の先生

 このタイプの先生が日本の大多数の普通の先生です。この先生の圧倒的大多数は「一斉指導で力量のある先生」とほぼ同じです。おそらく一斉指導をうまく併用するはずです。そして、何か分からないことがあれば、出来る人に「ちょいと」質問すれば乗り越えることができます。いや、質問しなくても乗り越えられる人は少なくありません。大事なのは自分で考え続けること、そして、『学び合い』をテクニックではなく、考え方として理解できるか否かです。とにかく、少なくとも『学び合い』の初期段階は、とてつもなく、簡単ですから。「手引き書」の最初の語りを自分の言葉で語れる人であれば、まず、間違いなく出来るはずです。

 ただし例外があります。一斉指導の力量が無いのですが、子どもを隷属させることによって表出させていない人です。残念ながら、日本の教師の中には一定数はいます。この場合は、『学び合い』で問題が表出します。しかし、そんな先生は『学び合い』をするわけ無いです。しかし、なんらかの事情で『学び合い』をすると問題が生じるのです。ただし、それは『学び合い』の問題ではありません。『学び合い』は集団の「地」が表出されるだけです。残酷ですが、このタイプの先生は「一斉指導で力量の「全く」無い先生」と紙一重だと思います。若い頃は、なんとかパワーだけ隷属させることが出来たとしても、ある年齢を超えたとき、それが出来なくなります。ところが、隷属しか方法を知らないので、さらに、強く隷属を強います。ところが、ある時、クラスのオピニオンリーダーが「この先生はだめだ」と評価すると、とたんに学級崩壊に陥ります。あとは「一斉指導で力量の「全く」無い先生」と全く同じです。

●例外事例

 以上のように日本の大多数の先生は『学び合い』を大失敗無く出来るはずです。が、少数ながら例外があります。かなりの指導力のある先生であっても問題が生じる場合があります。それはアスペ傾向のある子どもがいる場合です。アスペ傾向という言葉は拡大解釈されるといやなのですが、あえて使います。『学び合い』は子ども同士の関わりの中で問題を解決します。ところが、人と関われば関わるほど、他の子どもに不快にさせる子どもの場合は、『学び合い』の輪に入れるまでの時間が例外的に時間がかかります。

 ADHDの子は問題なく輪に入れます。だって、クラス中がADHDになるんですから。自閉症の子どもも、ダウン症の子どもも、学習障害の子どもも、関わって不快になることは無いので問題なく輪に入れます。いわゆる人付き合いが不得意な子の場合は、多少時間かがかかると思います。しかし、グループになることを強いなければ、『学び合い』の文化が成立すれば、周りの子どもがその子を輪に入れます。人付き合いの不得意な子の圧倒的大多数は、人付き合いが嫌いなのではなく、自分から輪の中に飛び込むことに不安を持っている子です。だから、周りの子どもから「いっしょにやろうよ」と本心から言われれば、自然に入るものです。が、例外はアスペ傾向の子です。

 ちなみに、何度もメモに書いたように、私はアスペ傾向でした。だから、教師の「好きなもの同士でやりなさい」という言葉ほど恐ろしい言葉はありませんでした。このタイプの子どもは人を不快にさせたとしても、その子には罪はありません。その子のキャラクターなんですから。そして、その子は教師に隷属する一斉指導では、そのキャラクターが表れにくい。しかし、その子はやがて大人になります。社会に入れば一斉指導の状態ではありません。社会での関係はまさに『学び合い』です。従って、その子も『学び合い』を学ぶ必要があります。ではどうするか?このタイプの子どもの場合は、『学び合い』では避けるべきである、個人対応をさりげなくする必要があります。そして、『学び合い』の文化形成を、意図的にスローダウンする必要があります。でも、いずれにせよ、高度の状況に依存するので、その状況の中で政治的に動く必要があります。

 上記の場合は力量のある先生でも、そうとう難儀です。正直に白状しますが、私もこの事例の場合は、相当に苦労しました。そして、失敗しました。とほほ

 さて、最悪の状態になるのは、先に述べた一斉指導の能力のない先生のクラスにアスペ傾向の子どもがいた場合です。これは壊滅的です。ただし、これは『学び合い』をしようが、しまいが、最悪である状況は同じです。ただ、一斉指導の能力があるか無いかは分かりづらいですが、「たち歩き」、「私語」は分かりやすいので『学び合い』のせいにされます。その先生の『学び合い』をする以前のクラスがハッピーだったかを調べれば、自ずと分かります。

 今回、大阪に行ったとき、ある先生から「『学び合い』をすれば子どもの力を生かせるので、指導力不足の先生でも大丈夫でしょうか?現場では指導力不足の先生の対応で困っているんです。」と質問を受けました。私は「無理です」と言下に答えました。理由は、上記に書いたように、せめて6割の子どもを掌握する能力のない先生に、『学び合い』で必要な集団の力を生かすことは無理だからです。しかし、同時に「でも、『学び合い』で解決することは出来ます。」と続けました。

 『学び合い』を会得すれば、教師は余裕を持てます。異学年・多学級の『学び合い』をすれば、それは驚異的です。そのことによって、指導力を持っている先生が、指導力不足の先生をサポートすることが出来ます。それが解決の道です。

 私は教師に必要な能力は二つだけだと思います。それは「出来ない理由を子ども、親の責任にして合理化せず、解決を模索すること」と「他者、特に異質な他者とつながれる能力」の二つです。どんな教師だって、「子どもが馬鹿だからいけないんだ」なんて思いたくありません。でも、そうせざるを得ない状況に追い込まれているんです。だれだって同僚・先輩・後輩からいたわられたい、教えてもらいたい、手伝ってもらいたい。でも、そうできない状況に追い込まれているんです。もし、教師同士の『学び合い』が成立したならば、「子どもが馬鹿だからいけないんだ」なんて思う人はいないはずです。だれも悪者はいない。関係のなせる技です。子どもの『学び合い』は、教師の『学び合い』を可能にし、全ての教師に指導能力を与えてくれると私は信じています。