■ [ウルウル]同志

ある同志に、特別支援のクラスにいる?と聞きました。以下がその返信です。
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「特別支援を必要とする子」について考えてみました。
私のクラスには,例の介助員等による「特別支援を必要とする子」はいません。西川先生,分かってて聞いていらっしゃるでしょ?
自ら助けを求める子はいます。全員です。困った時に「助けてー」と言える子,という意味です。そういうクラスでは,介助員等はむしろ邪魔です。子どもの学習を阻害します。たとえハンディキャップをもった子でも,「助けてー」と言える限り「特別支援を必要とする子」ではないと思います。そして,環境次第で「助けてー」は言えます。まわりの仲間が「助けてー」を無視する環境,見てみぬふりをする環境では,「助けてー」と言えなくなるから,「特別支援を必要とする子」が生まれるのだと思います。なんだかいじめみたいです。いじめられている子に介助員がついていじめがなくなりますか?その子は救われるのでしょうか?必要なのは介助員ではないですよね。
今の自分はそんな風に考えていますが,これまでの自分の教員生活を振り返ると,私はずいぶんむごいこともしてきたと思います。きっと。もっと救われた子がいたように思います。
前任校で私はよく「たいへんな学年」というのを受け持ちました。現実は,全然たいへんじゃなかった。でもそれは,私の力ではない。子どもと同じで「助けてー」と言わせてくれる先輩教師がいたからです。その先輩教師は私にああしろ,こうしろと指示はせず,「あんたどう思う?」といつも聞いてきました。今にして思えば,その人は自然に学び合いを身に付けた人だったのだと思います。そこで学んだ。それから「たいへんな学年」という意識はまったくない。なんとなくいつも楽しく過ごしてきました。 (忙しいのは忙しかったですよ,これ愚痴ですけど)なぜかは分からなかった。こういうのがいいんだろうなあ,ぐらいの意識しかなかった。それが確信に変わったのが昨年の夏の西川研での3泊4日です。
養護学校に勤務する私が尊敬する後輩がいます。昨日その方が今年度の実践記録を送ってくれました。小学部6年Aさんについて,
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教室で耳をふさぐようにしてうつむき,座っていたA児が教室内を歩き回り始めた。
私は「Aさん,座ってください」と言葉掛けをしたが,A児はそのままである。
私はA児に近づいていった。すると,A児は私を見て,笑い,逃げるようにして教室
内を走り回った。
一般的に離席は不適切な行動である。しかし,このような行動には必ず子どもの思い
が隠されていると考える。
A児の行動の中に私に伝えきれない思いがあるに違いない。
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と考えたその後輩は,Aさんとのかかわり方として「注意をしない」「代替の行動を提示する(決めるのはAさん)」を選択しました。この後輩も普通学級であったら,間違いなく自然に学び合いができるはずです。
「かかわりたい,思いを伝えたい,でもどうしていいか分からない」Aさんは,時に「不適切な行動」をします。かかわり方のスキルをもたないがためです。そういう子に思いを伝えるためのカードをもたせることは,養護学校の先生はよくやられることなのかもしれません。ただ,実践記録の中で,保護者からの連絡帳の内容として
「Aは家でも,カードを見てうれしそうにしていることがあります。とても大事にしているようです」が紹介されていて,私は感動しました。そりゃあAさんはうれしい。「助けてー」が言えて,助けてくれる仲間が(今回は教師だけど)いて,「助けてー」を言う,言わないを自分で選ぶことができるのですから。
後輩の中でAさんは,養護学校小学部6年生であっても「特別支援を必要とする子」ではきっともうないはずです。まして普通学級において「特別支援を必要とする子」がそんなにたくさん(6.3%)いるはずは,ない。西川先生と同じく,私もそう思います。
長いメールでした。
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私の返信は以下の通りです。
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ありがとう同志!
今泣いています
家内に見つかる前に、涙を拭きます。
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今回、同志の方から色々なメールをいただきました。半数以上は上記のように「特別支援の必要な子」はいないという反応です。残りの方の反応は、「特別支援の必要な子」を意識しています。しかし、それらの方は、それなりの立場におり、自分のクラスのことを心配しているのではなく、関係する教師のクラスのことを心配している方です。そのような方も、自分のクラスにおいては上記のような感覚だと思います。しかし、いずれの方も、自分が対応できなく、医師や介助員のほうが適切であると考える方はいません。
私には同志がいます。