■ [大事なこと]我々の指導法・教具開発
先日のメモで、指導法・教具開発を否定的に書きました。しかし、我々もこれからもやりたい指導法・教具開発があります。それは、子ども達がやる指導法・教具開発があります。大きな本屋に行けば、山のような教師用の本があります。それを子どもに与え、「もっと良いものをつくれ」という課題を課すのです。もちろん、同時に、「この教師用の本に対応する単元のテストで、クラス全員が100点取れ」と求めます。面白いことが起こります。
まず、素晴らしい教材を子どもが作れることを発見します。でも、これって当たり前のことです。だって、ユーザーの声を徹底的に吸収した指導法・教具が、専門家が作る指導法・教具を下回るわけありません。子どもの有能さにビックリします。
次に、そのような素晴らしい指導法・教具であっても、全員にとって最善ではないということに気づくでしょう。最終的には、子どもにとっては同級生が最善の指導法・教具であることに気づきます。そして、それを補完する教材は教科書であることに気づくでしょう。せいぜい、薄い出来合いの資料集で十二分です。日本の指導要領は日本人全員が学ぶべき事を定めた基準です。それを学ぶために、図書館にある全集十巻の辞典を読む必要性は、殆どありません。
剣の道の最高の境地になると剣から離れるそうです。それと同じで、指導法・教具開発の最高の境地になると、指導法・教具開発から離れます。結局、全ての王道に「ひねり」,「奇手」は無用です。