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2008-06-15

[]けなげ 21:14 けなげ - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - けなげ - 西川純のメモ けなげ - 西川純のメモ のブックマークコメント

 この半月ほど、息子と家内とのこそこそ話が何度もあります。息子から「お父さんはきいちゃだめ」などと言われました。なんとなく父の日のプレゼントのことを話しているのだろう、と想像していました。

 本日の昼頃までは息子は元気です。が、2時過ぎからはクターっとなり始めました。変だな~っと思っていたら、「寒い」と言い始めました。体温は測ったら38度です。直ちにお医者様に行きました。そこで計ったら8度5分です。眠たそ~にしています。家に帰って、直ちに寝かせました。直ぐ、ぐっすり寝たのですが、数時間たったらフラーッと起きて家内と何か話しています。家内が「大丈夫、おかあさんがやるから」と言い聞かせて、寝かせていました。

 夕食直前、家内とフラフラの息子が台所で何かやっています。夕食には、家内と息子の作った「おつまみセット」が並んでいました。とても美味しかった。本当に美味しかった。それを褒めたら、息子は「やった~」っとニコニコしていました。早々に食べて、高熱でフラフラの息子の添い寝をして寝かしつけました。

 8度以上の高温の中、息子は私の「おつまみセット」ばかりを考えていたのです。感謝・・・

[]思わぬ影響 19:27 思わぬ影響 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 思わぬ影響 - 西川純のメモ 思わぬ影響 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 6月27日(金)に上越教育大学附属小学校で講演をします。勤務している大学の附属からの依頼ですから、二つ返事でOKしました。ましてや息子が大変、た~いへんお世話になっている学校です。心より光栄に思います。が、思わぬ影響がありました。

 家内の知り合いは、大学関係者の家であることを知っています。まあ、大学官舎に住んでいるのですから当然です。その関係で、私と最初話すときちょっと緊張されてしまいます。しかし、実際に話してみると普通の人であることは分かっていただけますので、最近では意識されていないと思っています。ところが、附属小学校のポスターに「上越教育大学教授 西川純」が載るので、「特別偉い先生様」と思われてしまいました。その関係で、お母さん方と合うと、怖いものを見るような目をされます。さらに、息子と一緒に登校するお子さんのお母様(そのため朝には世間話をしているお母さん)からは、「とても偉い先生だとは知らず、気軽に話しかけていまいました。お詫びします。」と真顔で言われたので、ビックリしてしまいました。おそらく家内の方がえらい迷惑をしていると思います。とほほ

追伸 一方、楽しみもあります。愛知から私の講演にこられるというメールをいただきました。「前日に早めに高田に到着したら飲みませんか?」とお誘いしたら、都合をつけていただきました。もし、そんな方が他にもいたら、メールでお知らせくださいね。

[]『学び合い』の適応範囲 17:39 『学び合い』の適応範囲 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 『学び合い』の適応範囲 - 西川純のメモ 『学び合い』の適応範囲 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 埼玉の会を日経新聞が報じたことをブログで紹介しました。教育を主たるターゲットとしていない新聞が取り上げた先見の明を感じるとともに、当然とも思います。実は、同志の中には「全く」教育とは関係ない人は少なくありません。そして、教師になるつもりのない方が、上越などの『学び合い』の実践を見に来ています。

 「学び合い」ではなく『学び合い』を最初に採用したのは、数百万年前の人類の祖先です。そして、それ以来、人類は一貫して『学び合い』をあらゆる場面で利用してきました。『学び合い』は数百万年の間、厳しい生存競争の中で洗練され、DNAの中に組み込まれてきました。

 それを最初に学問的に分析したのは経営学であり、教育学ではありません。「勉強しなさいを言わない授業」で紹介したとおり、初期ミシガンの研究です。経営学が教育学の先鞭をつけたのは当然だといえます。なぜなら、教育の世界より経営の世界は遙かにシビアです。教育の世界は、成果が出なくても「親が悪い」、「子どもが悪い」、「社会が悪い」と言い訳ができます。果ては、「教育の成果は100年度に出る」などということも言います。こんなこと経営の世界ではあり得ません。そんなことを言ったら、潰れてしまいますから。

 一方、教育の場で我々がやることには意味があります。それは、経営学では絶対に出来ないことが教育の場の研究では出来ます。第一は、経営者(つまり教師)の指導の下に、職員(つまり子ども)がどのような会話をして行動するかを記録分析することは、教育では可能ですが経営ではまず不可能です。第二は、経営方針を変えることを求めることは教育では可能ですが、経営ではかなり困難です。その意味で、経営に極めて有益な示唆を我々の研究は与えることが出来ると自負しています。

 それ故、経営の世界の方々が『学び合い』に注目する先見の明を感じるとともに、当然とも思うのです。