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2008-10-12

[]教師の仕事 22:18 教師の仕事 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 教師の仕事 - 西川純のメモ 教師の仕事 - 西川純のメモ のブックマークコメント

自動車会社の社長が業績回復のため、他社にはない画期的なエンジンを開発する必要があったとします。現場の研究者・技術者は一生懸命に努力します。しかし、根本的な技術的な問題を解決できません。情報収集すると、他社ではそれを乗り越えた事例があるそうです。しかし、その会社の研究者・技術者が、その問題を解決することは出来ないことを懇切丁寧に説明されます。もともとは技術者上がりの社長なので、そのことの困難さはよく分かります。そこで、自身も開発現場にこもり、研究者・技術者と一緒になって徹夜をし始めました。

 別な自動車会社でも同じように、業績回復のため他社にはない画期的なエンジンを開発する必要があったとします。現場の研究者・技術者は一生懸命に努力します。しかし、根本的な技術的な問題を解決できません。情報収集すると、他社ではそれを乗り越えた事例があるそうです。しかし、その会社の研究者・技術者が、その問題を解決することは出来ないことを懇切丁寧に説明されます。もともとは技術者上がりの社長なので、そのことの困難さはよく分かります。しかし、現場を離れた自分にはそれを解決する能力は無いことを知っています。そこで、開発現場のみんなを集め、新エンジンを開発する意義を再度語ります。そして、十分開発環境を保証するため、銀行・大株主を口説いて増資を実現し、それを開発予算に回しました。

 さて、どちらの会社が生き残るでしょうか?私は後者だと思います。

 ある同志から、以下のような相談メールを頂きました。

『小学校5年生の子ども・・。学習障害ですが。その子どもが、なかなか学びあいでうまくいきません。小数のかけ算や割り算では、99を覚えていないため、99表を見ながら行っています。やり方は理解できるものの・・・。うまくいきません。どの子ども、「先生、どうやって教えればいいのかわからない」といわれます。そういう場合は、どうするばいいのか・・・』

 教師の仕事は個々の子どもの問題を解決することではありません。個々の子どもの問題を解決できる子ども集団を作ることです。「先生、どうやって教えればいいのかわからない」と聞かれたら、どうやって教えるかを子どもと同じレベルで考えることは教師の仕事ではありません。「どうやって教えればいいのか」を考え続ける集団を作るにはどうするかを考えるべきです。「その子」の問題に収斂している限りは、解決のない蟻地獄に陥ります。

 「じゃあ、解決できるか?」と問われれば、「そりゃ分かりません」と応えます。でも、「あなた一人が考えたり、あなたが子どもと同じレベルで考えるよりは解決にいたる可能性は高い」と断言できます。明るく、熱く、実現すべき夢を語るしかありません。

追伸 私はゼミ生からの研究上の愚痴は聞きません。言い始めると「うるさいうるさい、聞きたくない。それは君「たち」の問題で私の問題ではない。私の仕事は、実現するために必要なお金を引っ張ってくることと、誰かに頭を下げること。もちろん、私が解決に頭をひねってもいいよ。でもね、そうしたら金を引っ張ってきたり、頭を下げる方を君たちがやってね。どっちがいい?あはははは」と言います。まあ、よほど『学び合い』の考え方が分かっている人しか使えない言い方ですが・・・・

[]西川先生からは・・・ 21:38 西川先生からは・・・ - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 西川先生からは・・・ - 西川純のメモ 西川先生からは・・・ - 西川純のメモ のブックマークコメント

 山形の会で発表された方のうちお二人が、「西川先生からは『学び合い』でないと言われるかもしれないけど」という前振りをされてから、素晴らしい実践を発表されました。そういわれた理由は、お二人の謙虚さと、私の性格の悪さに由来することを反省しつつ、関連したメモを書きたくなりました。

 『学び合い』は考え方です。具体的には学校観と子ども観が基本です。それに立脚すれば『学び合い』です。それは絶対的な基準ではありません。大抵の実践も我々の学校観と子ども観を持っています。まあ、「人格の完成なんてどうでもいい!」、「人との繋がりなんてどうでもいい!」、「子どもはバカだ!」と公言したり、それを基本としたりする実践は、まあないでしょうね。ただ、一般の実践と我々の信じるレベルが格段に違うのでハッキリ分かりますが。

 それは私自身においても同じです。『学び合い』を始めた十数年から学校観、子ども観は一貫しています。今から考えれば十数年前の我々は学校の存在意義に関して、学力と人間関係が不整合だった部分があります。また、子どもの能力を相対的に低く見ており、テクニック的でした。しかし、十数年前から目指している方向性は一貫していました。だから、もし、その当時の自分にとって信じられないほど子どもの能力を信じる同志がいたら、直ぐに降参します。そして、直ぐにその考えを受け入れました。だって、それを求めているのですから。

 だから、私が拘っているのは考え方だけです。それに私個人がどうかんがえるなんて小さなことです。そんなことに拘ると、大事なことがおざなりになってしまいます(http://manabiai.g.hatena.ne.jp/jun24kawa/20071207/1196984537)。そして、「西川先生からは『学び合い』でないと言われるかもしれないけど」という前振りをされるたびに、自分の性格の悪さを指摘されているようで恥ずかしくなります。あはははは。