お問い合わせ  お問い合わせがありましたら、内容を明記し電子メールにてお問い合わせ下さい。メールアドレスは、junとiamjun.comを「@」で繋げて下さい(スパムメール対策です)。もし、送れない場合はhttp://bit.ly/sAj4IIを参照下さい。             

2009-06-25

[]志 22:24 志 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 志 - 西川純のメモ 志 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 本日の講義で学生さん達に「志」を問いました。志って何でしょう?私は、より広い範囲の人たちと付き合うときの基本戦略と定義したいと思います。

 我々は自己保全を図り、家族を守りたいと思います。それが最も基本だと思います。でも、家族を越えた人たちと関わるためには、自己や家族を前面に出しては生きていけません。それらの人たちと生きるためには、自己や家族を越えた次元での基本戦略が必要です。その基本戦略は、一貫しており、ぶれていてはいけません。鼎の軽重が問われます。同時に、自己や家族に矛盾しては続くわけありません。自己崩壊するか欺瞞に陥ります。

 一人も見捨てない教育の実現、これが私の志です。この基本戦略は単純で、自己や家族に矛盾せずに実現できます。だって見捨てない第一の候補者は我が妻であり、我が息子です。だから気に入っています。

[]ガイドライ 18:26 ガイドライ - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - ガイドライ - 西川純のメモ ガイドライ - 西川純のメモ のブックマークコメント

 『学び合い』の研究は10年以上の蓄積があります。子ども同士の相互行為に着目する研究だったら平成5年ぐらいから始めています。ハッキリと『学び合い』研究が始まったのは平成9年の惠美ちゃん、川合さん、杉山さんの研究が最初でしょう。そして、平成12年ぐらいまでは、現場の先生方の持っている知恵を定式化し、現場の先生方の疑問に応える研究でした。例えば、子どもたちが学び合うに必要な15分程度のエクササイズを開発したり、班構成は何人が良いかとか、子どもたちが学び合えるのは小学校何年生以上なのか、などの研究をしていました。

 しかし、それ以降になると、現場の先生の知恵を超え始めました。そして、現場の先生が疑問に思ったこともないようなことを調べ始めました。それは平成14年ぐらいからハッキリとした傾向となり、平成16年以降となるとぶっ飛ぶような研究をし始めるようになりました。例えば、「国語、算数・数学、理科、社会のような平常の教科学習を定常的に異学年で実践する」とか、「小学校の子どもたちに指導要領の原文を与え、それをもとに、自らが具体的な評価規準と評価基準を設定して自己評価する」というレベルになると、「裏山で火星人に会った」というレベルに受け取られてもしょうがありません。それが、科学的なデータによって記載されても、怪しげな雑誌の裏にあるダイエット法の広告にある、それが科学的だと保証する医学博士の話と同じぐらいの信憑性を持ちません。まあ、矢追純一や五島勉のノストラダムス本のように思われても仕方がありません。

 さらに平成13年以降、テクニックのレベルで現象を考えるのではなく、考え方のレベルで考えるようになりました。つまり、ある授業が成立するのは、あるテクニックがあるからと考える従来の見方から、教師の心のありようが重要であると考えるようになりました。そして、教師の心のありようと行っても、オカルトチックなものではなく、また、精神的なものではなく、行動に表れることを証明しました。例えば、子どもを信じていないと、こんな行動をしてしまう、というような典型的な教師の行動を記載するようになりました。

 平成18年の講演会のことです。私が講演していると、ある先生から「先生の話を聞いていて、だんだん息苦しくなった。最初は指導法の一つととらえていたが、あなたは全てに対して適用しようとしている。そのような考え方でない素晴らしい指導で実績を上げている先生方も多い」と指摘されました(http://manabiai.g.hatena.ne.jp/jun24kawa/20060822/1156203792)。思い出しても心が痛くなります。私は、その先生の人間性や教育に対する熱意に関して、まったく疑っていません。むしろ、良い先生なのだろうな~っと感じるのです。しかし、私の話は、多くの先生の中にある善意の「子どもは未熟だから守ってあげよう、育ててあげよう」という気持ち、「勉強はさておき心の成長をさせなければならない」、逆に「心の成長は別な場面でしっかりやるので、授業では教科の内容をしっかり教えなければならない」という善意の気持ちの問題点を露わにしてしまいます。まっとうな教師であれば不快になるのは当然です。テクニックならば取捨選択できますが、最も基本としている部分に手を入れているのですから、本当に失礼なことです。

 『学び合い』の会のように、『学び合い』を学んでいる人、また、『学び合い』を学ぼうと願っている人を相手に話すならまだしも、校内研修での講演でやれば傷つけたくはない善良な先生方の気持ちを逆なでしてしまいます。

 これを避けるには、話の内容を平成12年以前の研究に押しとどめ、テクニック的な話にとどめることが必要でしょう。また、『学び合い』を一つのテクニックのように語る必要があります。でも、『学び合い』のコアの部分に関わる質問を受けてしまうと、それに応えてしまうという馬鹿正直な部分があります。本当に反省です。

 善良で尊敬すべき先生方のお気持ちを不快にさせ、また、私を呼んでくれた先生にご迷惑をかけることは慚愧に堪えられません。ということで、今後は「『学び合い』の会のように、『学び合い』を学んでいる人、また、『学び合い』を学ぼうと願っている人を相手に話す場合」、「学校として『学び合い』をやると決めた学校」、逆に、「単純に面白い話を聞きたい、そのために大枚の金を払おうという場合」は今後もお受けしようと思います。しかし、ある善意の先生が学校に広めるための起爆剤として私をよぶ場合は断ろうと思います。理由は上記の通り、私をよぶ先生にご迷惑をおかけする可能性があり、善良で尊敬すべき先生方のお気持ちを不快にさせることが耐え難いからです。

 以上のように決意しました。

追伸 ただし、以上の私の懸念を理解した上で、それを乗り越えられると確信される場合は、お受けいたします。私の話はよく効く薬ですが、劇薬です。用法・用量の注意が大事です。

 なお、講演会ではなく、『学び合い』を積極的に学びたい方へのサポートはします。例えば、スカイプなのでつながって、学校に広げたい人と一緒になってサポートすることはやぶさかではありません。しかし、『学び合い』が何であるかしらない方が、いきなり聞くには、私の話は劇薬過ぎます。

 慚愧に堪えません。

[]不徳 11:29 不徳 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 不徳 - 西川純のメモ 不徳 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 自身の不徳を恥じて、昨日は2時間ぐらいしか眠れませんでした。先ほどまで、我が教え子にして同僚のKさんに相談しました。つくづく思います。私がKさんのような人だったら、『学び合い』はもっと広がるのに・・・。