■ [大事なこと]戦闘モード
研究者は基本的に戦闘的です(http://manabiai.g.hatena.ne.jp/jun24kawa/20010228/1173103810)。ただし、真理に対して戦闘的であったとしても、対人関係で戦闘的になるかならぬかは人によります。1+1=2が正しいことを明らかにすれば、あとは戦闘的にならなくても勝てます。しかし、政治的な部分は研究者であろうと無かろうと、戦闘的にならなければならない部分はありますし、したたかな人は戦闘的と思われないような方法で勝ちます。
私は本性は戦闘的ですが、まあ、喧嘩は嫌いです。理由は負けるのは大嫌いだからです。が、たまに戦闘モードに突入することがあります。今日、それがありました。
相手はとても良い先生です。非『学び合い』なので、まあ、目標設定が甘いなどの特徴がありますが、ま、ご愛敬です。私が戦闘モードとなったのは、私が「それでは先生のクラスの子ども全員が分かると言うことはあり得ないですよね?」という言葉に対して、「いえ、私のクラスの全員に分からせることが出来ます」と言い切ったのです。たまに、こんな厚顔無恥なことを言い切る先生がいます。こうなると、呆れると同時に、その先生のクラスの子どもが必死に「分かったふり」をしている姿が想像できます。で、その先生と議論をし続けることによって、その先生が何でそんなことを言い切れるかが分かりました。それは、私がその先生に「分からせると言ってもテストの点数で分かるでしょ。出来ない子どもはいたでしょ?」と聞くと、「テストの点数で表わせられるものなんてつまらないものです。そんなものは直ぐに付けさせることは出来ます」と言います。そこで「で、テストの点数で表れる下らないものは全員つけさせられたことがあるのですか?」と聞くと、その先生は「そのようなものではなく、もっと大事なものを狙っているのです」と応えました。
これで原因が分かりました。評価が甘いのです。結局、自分の都合の良いように解釈可能なもので評価しているから、「私のクラスの全員に分からせることが出来ます」と断言できるのです。私だって、クラス全員に「分かった気にさせる」ことは可能です。でも、分からせることは出来ないことは新任の時から分かりました。ところが、その先生はその違いが分からないようです。
その先生は悪い人ではありません。いえ良い先生です。が、その良い先生のクラスで苦しんでいる子どもを思うと戦闘モードになります。が、そのような先生に戦闘モードになって議論をしても、実りは全くありません。自己嫌悪です。
■ [嬉しい]長野の会
着実に南信に根が広がっているのを感じます。
古厩校長の話に始まり、古厩校長の話に終わりました。これほどの名司会は無かったと思います。私の話の後、中島さんの模擬授業でした。中学校社会科の先生による数学の模擬授業。あははは。『学び合い』だからこそ出来る模擬授業です。後ろからじっと集団の動きを観察していました。楽しかった。後で保護者の参加者から、実際にやってみて『学び合い』を実感できたと言われました。
その後、結解さんと戸井田さんの実践報告です。ベテランと新人の味わいの違いが出て良かった。そしてフリートークです。私は幼稚園の先生と保護者と話しました。
素晴らしい会だと思います。そして、三崎先生の話です。穏やか中にも熱いものを感じます。
でも、一つ努力が足りなかったと思います。それは保護者の方へのアピールです。もっと個別にでも情報を流すべきだったと思います。参加した保護者の方が、もっと参加して欲しかったと言ってましたよ。今後の課題ですね。うふふ
これは次の群馬の会では、期待できますよね。うふふ
とにもかくにも、充実した、良い会でした。