■ [大事なこと]内容
今、脱ゆとりに関連して、教科書が変わった点を報道しています。でも、馬鹿馬鹿しく感じます。
私は現在の算数・数学は大学学部レベルの解析学や線形代数を、多段階で薄めているように感じます。結果とし て、数学の面白さから行っても不十分だし、国民全員が何故、数学を学ぶのかという面でもおかしくなっていると思います。国民全員が学ぶ算数・数学でしたら、私は内容云々ではだめで、どのように学ぶかという論が必要だと思ってい ます。でも、数学という学問を学ぶことを前提にしたらという空想もわきます。
私は現在の算数・数学は大学学部レベルの解析学や線形代数を、多段階で薄めているように感じます。結果として、数学の面白さから行っても不十分だし、国民全員が何故、数学を学ぶのかという面でもおかしくなっていると思います。国民全員が学ぶ算数・数学でしたら、私は内容云々ではだめで、どのように学ぶかという論が必要だと思っています。でも、数学という学問を学ぶことを前提にしたらという空想もわきます。
現状の算数は、殆ど四則演算に終始しています。文章問題も算数でしか使えない問題です。例えば、「5個の飴を二人で分けるといくつか?」の答えは2.5ではなく、2個と3個ですよね。四則演算ならば、大人になってから計算機があります。大学に入って、微分方程式が解けなかったとき、数学者に質問に行きました。その結果、数学者は計算ではなく、「計算可能である」ということに興味を持っていることを発見しビックリしました。ですので、義務教育段階は、数学史をじっくりとやったらいいのではないかと思います。それも物語的に。それを学ぶ必要性が出た段階で、それを学ぶために最低限の四則演算を学ぶのです。高校段階になったら、高木貞治の解析概論あたりをじっくりやるのです(笑)。あくまでも一部の生徒のみが。大学で学んで、高校までの数学は非効率だな~っと思いました。だって、数学を数学として学ぶ方が、コンパクトに学べますし、応用も広い。同様な感覚は、ファイマン物理を読んで、同様に思いました。私の考える『学び合い』では、内容はゴチャゴチャ言いません。でも、内容まで踏み込んで議論するなら、このレベルで議論したい。その気持ちから言えば、脱ゆとりに関連してニュースで取り上げられている円周率が3が3.14になったというのが馬鹿馬鹿しく感じるのです。