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2010-04-14

[]ムーブメント 08:18 ムーブメント - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - ムーブメント - 西川純のメモ ムーブメント - 西川純のメモ のブックマークコメント

 神奈川の同志からのメールを以下に紹介します。参加できる方、是非お願いします。一気に本丸攻略です。

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文科省の動きです。

知り合いから、参加者を誘ってほしいと頼まれました。

学び合い』の人たちが参加すると大きなムーブメントを起こすことが出来ないかな?と思って紹介します。

僕は参加できないのですが、いかがですか?

申し込みは10日までになっていますが、人がまだ集まっていないので直前まで受け付けるそうです。

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【お知らせ】「熟議に基づく教育政策形成シンポジウム」を開催します

       ~副大臣・大臣政務官と教育関係者の直接対話~

                        〔生涯学習政策局政策課〕

 文部科学省では、教育政策を形成する上で、現場対話とインターネット活用

等による「熟議」によって国民の意見を収集する方策の検討を進めてきました。

その実践の第一弾として、教育関係者と副大臣・大臣政務官等が教育政策を議論する「熟議に基づく教育政策形成シンポジウム」を開催いた

します。

【趣旨】学校・地域等の当事者に「熟議」を実践していただくとともに、「熟議」の理解を深めていただくことを目的として開催。

【日時】平成22年4月17日(土曜日)13時00分~16時50分

【会場】文部科学省講堂(東館3階)(千代田区霞が関3-2-2)

【内容】

(1)開会挨拶(13時00分~13時10分)

(2)イントロダクション(13時10分~13時30分)

(3)グループ討論(前半:13時30分~14時30分)

 テーマ「小・中学校をよりよくするにはどうすればよいか」

 ※10名×10グループ程度での討論。各グループに配置されるファシリテーターが司会進行。

(4)休憩(14時30分~14時45分)

(5)グループ討論(後半:14時45分~15時45分)

(6)グループごとにまとめ(15時45分~16時00分)

(7)各グループの発表(16時00分~16時30分)

(8)全体総括(16時30分~16時50分)

(9)閉会(16時50分)

【参加お申し込み】

「熟議に基づく教育政策形成シンポジウム」の開催についてのページ

http://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/22/04/1292425.htm

(※ 文部科学省のホームページへリンク)をご覧の上、お申し込み下さい。

(締切を14日(水曜日)まで延長しました。)

【お問い合わせ先】

 電話:03-6734-3279

 文部科学省生涯学習政策局政策課:久芳、池田

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[]規範 07:04 規範 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 規範 - 西川純のメモ 規範 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 ツイッターで「社会的に間違ったことをしている集団にか『何がいけないのか考えてみよう?』と言ってもききませんよね~。 中にはKY(空気読め)って言う若い連中も居ます。若いっていいけど、効く耳を持たないと人は成長しませんよね。楽しい空気を作り取り込めば大丈夫なんで しょうか?」という質問を受けました。長くなるので、こちらでアップしようと思いました。

 様々な調査を行い、規範ということに関してかなりの確信を得ました。我々が興味を持ったのは環境教育です。たとえば分別ゴミを中学生に「やるべきか?」と聞けば、「はい」と答えます。しかし、「やっているか?」と聞けば、「いいえ」と答えます。そして、やるべきか否かについては、環境に関する知識は影響するが、やるかやらないかに関しては環境に関する知識は影響しません。現状の環境教育でやっていることは、子どもにやるべきだと思わせることは出来ますが、やる、という行動にはつながらないのです。

 それに関連してインタビュー調査を行いました。分別ボックスの前に立って、分別をやっている人に「何がきっかけで分別するようになったか?」、「何故やり続けているのか?」を聞きました。調査当時は、分別は厳しくなく、燃えないゴミに入れてもOKの時代です。その時代においても、分別を徹底していた人へのインタビューです。その結果、始めたきっかけは周りの人がやっているからという応えが多かったです。ところが、何故やり続けているかを聞くと、環境への熱い思いを語る人が多くなります。つまり、最初は周りの人がきっかけなのですが、次第に自信の規範に成長するようになります。

 これは、私自身も経験があります。私は東京生まれの東京育ちです。私の育った環境では、歩行者用の信号が赤でも車が来なければ横断歩道を渡ってOKです。ところが27歳になって新潟県の上越市に住み始めました。驚いたのは、この地域の人は歩行者用信号を忠実に守ります。遙か遠くまで車がいないのに、信号が赤だと待っているのです。最初は心の中で「ばかばかしい!」と毒づいていました。しかし、周りが待っているので渡れません。しかし、しばらくたつと苦にならなくなります。さらに、時間がたつと、信号を守れない人がいると、無性に腹が立つようになりました。

 以下は、そのインタビュー調査をした学生との会話です。

私:「高校生の時、万引きしたことある?」

学生:「ありません」

私:「何故、万引きしないの?」

学生:「エッ、だって悪いことだし、警察に捕まります。」

私:「ふーん。それじゃ高校の時、タバコすったことある?」

学生:「はい、吸っていました。」

私:「どれぐらい?」

学生:「だいたい、一日一箱ぐらい。」

私:「でも、高校生がタバコを吸うことは悪いことだよね」

学生:(うなずく)

私:「警察に見つかれば捕まるよね」

学生:(うなずく)

私:「じゃ、何故、万引きしないのに、タバコを吸うの?」

学生:「エッ(以下無言)」

私:「何故?」

学生:(無言)

私:「万引きする友達いた?」

学生:「いません、たぶん」

私:「タバコ吸う友達いた?」

学生:「友達はだいたい吸っていました」

私:「それが万引きしなくて、タバコを吸う理由だよ」

学生:「エッ」

私:「我々は、何が悪くて、何がいいかは、身近な人を見て学ぶんだよ。」

 キャンポスという人がおもしろい実験をしました。小さい子どもが母親の周りで遊んでいる状態です。そこで、いきなり大きな音を鳴らしました。さて、子どもはどうなるでしょうか?泣きますか?いいえ。子どもはまず母親の顔を見ます。母親が安心した顔をしていると、遊びに戻ります。恐怖の顔をしていると泣き出し、母親にすがるのです。つまり、訳の分からん状態に陥ると、とりあえず信頼している大人の判断を仰ぎます。

 これはホモサピエンスの英知だと私は思います。多くの動物は、きわめて狭い範囲の環境で生きています。それ故、生き方も定型的になります。それならばDNAの中に本能として組み込めばいいのです。ところが、人間は多様で変化の大きな環境で生きています。これにすべて対応できるようにDNAに組み込むのは非効率です。おそらく、それ故、DNAにはたった一つのことを組み込んだのだと思います。それは、「その環境で生き残っている大人の判断を仰ぎ、まねをしろ」ということです。コンパクトにして、すばらしいルールだと思います。おそらく、心理学で言う準拠集団というものはここから生まれたのだと思います。子どもの時は両親に準拠しますが、大きくなれば友人などが準拠集団となります。

 暴走族や暴力団という逸脱集団も、その中には一定の規範があります。それは、一般社会とは違いますが、一般社会以上に厳しい規範がある場合もあります。だから、その中にいる限りは、規範に従っているのです。ただ、一般社会とは違っているだけのことです。だから、暴走族の中で居心地の良い子どもに、その集団の外の規範を言っても詮無いことなのです。

 どうすればいいか?実は、逸脱集団の中にいる人も、自分は少数者であり、逸脱は不利であることは知っています。ただ、一般社会から排斥されているから逸脱集団を創り上げているのです。疎水結合というのがあります。水と油を混ぜようとすると、油と水はきれいに二層に分かれます。それを見ると、あたかも油同士に結合力があるように見えます。でも油同士には結合力はありません。水同士の結合力が強いので、押し出されただけなのです。私の中学校時代のクラスにある「不良」がいました。彼は「西川、おれは○○、○○と仲いいように見えるだろう?」と言いました。私は彼らがいつもつるんでいるので当然そうだと思っていました。しかし、彼は「俺たちは、誰からも相手にされないからつるんでいるだよ」と力なく言っていました。今から三十年以上前のことですが、非常に印象的な思い出です。

 つまり、逸脱集団の子どもを何とかするには、まず、受け入れられる一般社会が形成されなければならないのです。そして、逸脱集団の一人一人に注目するのではなく、あくまでも「みんな」を意識して行動しなければならないのです。つまり、セオリーは『学び合い』と全く同じなのです。

 理屈を言うより、集団作り。教師の言うような理屈は相手の子どもは百も承知、二百も合点のはずです。