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2010-08-13

[]昨日の講演・対談 10:05 昨日の講演・対談 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 昨日の講演・対談 - 西川純のメモ 昨日の講演・対談 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 昨日は授業づくりネットワークの京都大会で講演と対談をしました。授業づくりネットワークはコンセプトとして、どれかにとらわれることなく、ありとあらゆる異質なものを学び、一人一人の教師がそれを取捨選択できる場を提供しようとする集団です。これは非常に高い志だと思います。そして、それを主導されている先生方はそれを体現されています。例えば、代表の上條さんは膨大な著作の中で一貫したことを主張しています。その主張は『学び合い』とは一致しない部分も多い。しかし、本当にどん欲に吸収しようとする姿勢は驚異です。教育界の超有名人でありながら、偉ぶらない。本当に話していると小中学生のようなピュアな気持ちと、旺盛な好奇心を持っている方です。これは大会の実行委員長の池田さん、また、講演でお世話になった石川さん、対談でお世話になった山田さんなど皆さんに共通する特徴です。生半可な実践者なれば、自分と違うことに対して敵愾心を燃やし、自分を守ろうとする。ところが、『学び合い』をも吸収し、飲み込もうとしようとしている、凄いと思います。その結果、本来だったら超アウェエーであるのに気分は『学び合い』の会のようなホームのような気持ちでいました。

 さて、講演です。まずは野口先生の講演です。聞いていて、「本当に良い先生なんだな~」っと思いました。人柄の良さがにじみ出ている語りです。それ故に、参観者が安心して授業を受けられます。多くの人が野口先生を絶賛する理由が分かります。

私に関してですが、講演は合格だと思います。もちろん、野口先生のような人柄とか品格はありません。でも、豊富な内容でありながら、時間ぴったりに収めました。(偉い、偉い)。語りたかったことは、授業はテクニックではなく、その人の心のありようによって決まると言うことを、実際の映像を用いながら語りました。

問題は対談です。これは主催者の意図通り、術中通りに動かされました。もともと、私は初対面の偉い人と話すのが嫌いです。ですので、その種の依頼が来たら断ります。が、今回は内容確認せずにOKしたら、そういうことだったというこを後で知りました。主な内容は、神奈川の山田さんが模擬授業を25分やって、その内容を野口先生と私がコメントするというものです。つまり、野口先生と私が直接やると私が暴走することを恐れた主催者が、山田さんをサンドバックにして間接的にやりとりさせようとするものです。かわいそうなのは山田さんです。

 さて、山田さんの授業は3つで構成されているオブニバス形式です。第一部は、短い繰り返しを利用する百マス計算的、次は野口先生の手法、次は子どもの関わりを大事にしたものです。実に見事なものです。社会経験があることを割り引いても、4年でこのレベルに達していることに驚異を感じます。また、このような場に出るという志の高さは、もっと刮目すべきと思います。

 さて、授業が終わってコメントです。まずは野口先生です。私は、野口先生は一部を褒め、一部は修正されるのではないかと想定していました。そこで、私は野口先生が褒めたところの課題を指摘し、野口先生が修正した部分を別な視点で評価できることを言おうと思っていたのです。と、こ、ろ、が、野口先生は山田さんの授業を絶賛し、100点満点でいうことがない、と評価したのです。これには司会の上條さんも困った様子で、再度確認しましたが、100点満点であると野口先生は言われました。次は、私です。野口先生が完全肯定ならば、立場上、完全否定にならざるを得ません。嫌な役回りだな~っと思いつつも、役を果たしました。

 まず、様々なテクニックが万人に有効ではないということを指摘し、それを全員に強いて良いだろうか?と問いました。次に、課題が不明確であることを指摘し、指導要領をもとにどのように改訂するかを指摘しました。言いながら、自分が悪人になっていくことをひしひしと感じます。反省点としては、指導要領は建前だと思っているごく普通の先生方は、私が指導要領のことを引き合いに出すと、「指導主事のご指導と同じだ」と思ったであろうということです。でも、これはしょうがない。全体的に、私は主催者の期待する役を話したという点でも、これも良しとします。野口先生との違いが鮮明になったのですから。

 が、一点だけ、慚愧に堪えないところがあります。今回の講演・対談では、ゼミ生からのアドバイスもあり、「一人も見捨てない」ということをメインキーワードとしていました。そこで、先ほど書いたように、一つの方法を強いれば、2割ぐらいの子どもを切り捨てることになるという論で山田さんのテクニックにコメントしたのです。主催者の上條さんがそれをどう思うかと野口先生にふりました。その時です。野口先生は、西川さんは学者だからそういうけど、実際の教師から言えば2割ぐらいの子どもが分からなくてもしょうがない、そんなの気にせず教師が一つの方法を強いて良いんだ、というようなことを言われました。私は横にいて腰を抜かすほどビックリしました。2割の子どもが分からなくても良い、これは野口先生の日頃の主張(その中には1時間前の講演も含まれます)や著作と真っ向から反することです。おそらく真意ではなくレトリックではあると思いますが、それであっても公的な場で絶対に言ってはいけない一言です。そんなことすれば野口先生の全てが否定されます。でも、それ以上にビックリしているのは、聴衆の中でその一言に大きくうなずく人が少なくなかった点です。「おいおい、野口先生はどんなことを主張し、実践してきた先生だと思っている?」と突っ込みたくなります。それに対するコメントを求められれば、私ももう一段階レベルの高い「一人も見捨てない」を語ります。そうなると、本来、野口先生の真意でない主張をさらに強く野口先生がおっしゃる。とても清く、美しいものを汚した気持ちがしました。(ま、そんなことで汚れる野口先生ではありませんが)

 ある方によれば、私の講演や対談の反応は、若い方には受け入れられ、ベテランはそうではなかったとのことです。相対的には、そうかもしれませんが、ベテランの方にも心に響いた方がいると思います。私は今回参加して、『学び合い』にとって一番意味があったとしたら、それは私の講演でも対談でもありません。今回の講演では、全ての参加者に短縮版と従来指導型『学び合い』の2種類の手引き書を配布していただきました。私の話しぶり、態度は不遜で傲慢で反発される方は少なくない。でも、手引き書に書いてある『学び合い』の考え方は、私という存在を超えて普遍的なものがあることを感じ取られる先生は少なくないと信じます。2学期になり、種がまかれ花が咲くことを心から祈ります。