■ [大事なこと]志
本当に夢を叶えられる人って、どんな職階においても、多様な職階の人に自分の夢を語り、同じ夢を持つ人と繋がれる人だと思う。自分の夢を叶えるために偉くなる、という人は、偉くなることが夢になるだろうな。
大きな夢は偉い人が叶えられるものではない。日本国首相だって凄いことが出来ないのは最近の事実が示すこと。大きな夢はみんなで実現するしかない。同じ夢を持つ多様な人と繋がれる人は、その人のライフステージのいずれに時点においても夢を叶えられ、続ける人になれる。その夢を志、と呼ばれます。
追伸 以前のメモに、『学び合い』を知ってしまったために出世街道にデメリットを与えたのではないか、と思う同志のことで気に病むことがありました。たしかに、出世することを目的の人には障害になったでしょう。でも、そんな同志はいないと思います。そして、本メモのように考えれば、我々は『学び合い』を知らない状態よりは「まし」と思えるようになりました。
でも、それが障害になるのではなく、みんなのパワーを使える状態に早くなりたい。
追伸 管下の職員に馬鹿にされる校長と、30人の県内広域の同志と繋がって事を起こせる平教諭とどちらが権力者か?でも、願うならば、1000人の同志と繋がって事を起こせる教育長を生み出さねば。
■ [大事なこと]みんな
『学び合い』を実践している方の中で、みんな、で悩むこと多いですよね。私も色々な人から相談されます。その際、「あ、そこが抜けている」と思うことの第一は、「みんな」を徳目のようにとらえているということです。まあそうです。いままで学校教育で「みんな」を求める場合、やるべきこと、正しいこと、という文脈で語られます。でも、『学び合い』では「みんな」は当人にとって得だということを理解させるのです。
例えば、今までは○○を食べなさい、○○を食べるべきだ、と言っていたのに対して、『学び合い』では○○は美味しいですよ、と言っているのです。初物には二の足を踏む子どもが多いですが、直ぐに食べる子も2割はいます。食べれば、少なくとも今まで食べていた従来指導型よりは美味しいということが分かります。そして、「みんな」なのですから、それが広がっていく仕組みです。
少なからざる同志が、子どもが好きとは言わないけど食べると良いもの(ニンジン、ピーマン、納豆など)を食べさせようというスタンスで「みんな」を勧めています。でも、それでは当人も子どもも辛くなる。でも『学び合い』での「みんな」は、食べたことはないが子どもが直ぐ好きになるもの、例えば発展途上国の貧しい子にチョコレートやステーキを食べさせようということと同じです。
そうだったら食べない子がいたとしたら、笑いを押し殺して「あははは、食べないの、もったいない、一口食べたら美味しいのに」と言うでしょう。そして、一口食べてその美味しさを理解した子どもを指で指し「ほら、○○ちゃんを見てみな」と言うでしょう。絶対に最後は子どもはチョコレートを食べるはずです。こう考えれば辛くなるはずありません。あははは
追伸 子どもに対して教師は管理職です。だから、一気に進めることが出来る。しかし、同僚にはそれが出来ません。だから、時間がかかるのはしょうがない。でも、大義は我にあるのですから。