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2011-06-12

[]伝えたいこと 21:52 伝えたいこと - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 伝えたいこと - 西川純のメモ 伝えたいこと - 西川純のメモ のブックマークコメント

 ゼミ生を含めて関わる人に伝えたいのですが、伝えられないことがあります。一言で言えば、『学び合い』は授業論ではなく、自らの生き方である、ということです。もっと具体的に言います。

 クラスでなかなか学び合わない子どもがいたとします。その子に何を語るでしょう。おそらく、『学び合い』は徳目の「徳」ではなく、「得」であると語るでしょう。徳目の徳であるならば、自分の余裕があるときは出来るでしょう。でも、自分の余裕が無くなったとき出来なくなります。自分のクラスの出来る子を思い起こして下さい。

 実は、自分が余裕が無くなったときこそ、『学び合い』です。そして、それが成り立つためには自分が無理なく出来ることを多様にやり続けられる人だけが、多くを得ることが出来ます。ね、そのように子どもに檄を飛ばしていると思います。それを自分に置き換えるのです。

 子どもは現実のくびきに捕らわれています。それを「大人になる」という彼らにとっては大事だなということは分かっていても、抽象的で具体性のないことに、どうあるべきかを語るのが教師の役割です。子どもが「○○ちゃんが、こうやった~」と訴えてくるレベルのことで動いていれば、悪い子はどっちだ、というレベルを超えることは出来ません。

 私は長年つきあっているゼミ生から「宇宙人」と言われるほど、荒唐無稽なことを言い出します。でも、その荒唐無稽なことを現実にしています。不遜ながら言います。私は今まで、「それは素敵だけど、無理だよ」と誰かに言ったことはありません。たいていの場合は、「あ、それはね、○年前の研究によれば・・・」と説明したり、「あ、それはね、○県の○○さんが既にやってね・・・」と言ったりします。そして、まだやっていないものであっても「それが出来たら凄いね。おそらく、○○がポイントで、○○をやれば、○○になると思うよ。というのは○年前の・・・」と応えています。

 五十一歳の私が切り込み隊長であること自体が馬鹿馬鹿しい。ゼミ生には「二十年後の教育」というお題が与えられています。ゼミ生には『学び合い』に既に局所的には解決していること、解決できるようなことレベルの「ちんけ」レベルに留まるなと檄を飛ばしています。私が腰を抜かすようなことを発想して欲しいと願います。

 が、生半可なことでは超えさせません。私は毎日、もっと凄いことを妄想して、ニヤニヤしているのですから。

 子どもに言っていることを自らに強いましょう。子どもたちに自信を持って、先の先を示せるように、先の先の先を妄想しましょう!そうでなければ、最高のクラスは創れませんよ。

[]ADHD 19:00 ADHD - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - ADHD - 西川純のメモ ADHD - 西川純のメモ のブックマークコメント

 全国のADHDのお子さんをお持ちの保護者の方へ。「『学び合い』スタートブック」や「気になるこの指導に悩むあなたへ」という本をご案内します。

 『学び合い』では様々な子どもが救われますが、最も短期間に救われて、顕著な変化が見られるのはADHDの子どもたちです。だって、ADHDの子どもはじっとするのが不得意なのに、じっとすることを求められます。

 でも、出来なければしかられます。そして「いけない子」というラベルを貼られます。それが続けばイライラがこうじて、様々な行動に至ります。でも、私だって授業研究会でつまらない授業を見ると、直ぐに教室を出たくなる。

 ところが、『学び合い』では立ち歩きや周りの子どもとの相談はOKなんです。従って、問題なく勉強できます。さらに、周りの子もゴチャゴチャと動くので目立ちません。ですので「いけない子」というラベルを貼られません。

 結果としてイライラしないので、問題行動も起こりません。

 同志のブログに触発されて書きました。

 

[]捨てるのか? 08:58 捨てるのか? - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 捨てるのか? - 西川純のメモ 捨てるのか? - 西川純のメモ のブックマークコメント

 昨日の埼玉の会で、あるゼミOBに会いました。そのゼミ生が院生だったとき、私に隠れて学内のTOSSサークルの勉強会に参加していました。そのことを知って、「何で隠れて勉強していたの?」と聞いたら、「先生から止められるから」と言いました。私は大笑いしました。そして、私がTOSSを高く評価していることを言いました。多くの若い教師が苦しんでいたとき、その人たちに「明日、直ぐ生かせる」ことを提供したのはTOSSです。どれだけの若い教師が、それによって救われたか分かりません。そして、『学び合い』が方法であるならば、それはTOSSと矛盾するかもしれないが、『学び合い』は考え方なので矛盾はしないことを伝えました。その学生は、堂々と勉強会に参加するようになりました。その学生は従来指導型で教育実習をやりましたが、レベルの高い堂々としたものでした。様々な引き出しがあることによる自信が見て取れました。彼は、一発で教員採用試験に合格しました。

 その学生が昨日の会の後の懇親会の時、「今もTOSSで勉強しています。『学び合い』をするのだったらそれを捨てなければならないと思っていました。でも、そうではないことが分かってホッとしました」と言いました。私は笑うと同時に、しょうがないなと思いました。何度も『学び合い』は考え方であって方法でない、と強調しても、その意味がなかなか分からないのもしょうがないと思います。院生時代にちゃんと語った学生でも誤解するのですから。

 繰り返します。今までに多くの教師が開発した技術には深く敬意を表します。そして、その価値を高く評価します。それ無しでは生きていけない状態の教師がいることを知っています。その第一の原因は、職場の協働力・教育力の低下です。そのような状態の中で、毎日、毎日、手探りで、日々の教材を用意しなければならない若い教師にとっては、直ぐ使えるものが必要です。家族のことに時間を費やさなければならない子育て世代の教師も必要です。それを従来型で解決しようとする多くの常識的な教師にとって大事なものだと言うことを理解しています。

 ということを前提に、あくまでも『学び合い』をやろうという方が今まで学び取ったものとの折り合いをつけるにはどうしたらいいかということに対してのアドバイスです。『学び合い』をやろうとしない方に関しては全く無関係なことですので。

 今まで多くの真摯な教師が生み出した技術は『学び合い』でも使えます。ただ使い方が違います。従来型指導の教師の場合は、自分が使います。『学び合い』だったら、その技術を子どもたちに提供し、それらのどれを使い、どれを使わないかの判断する権利(すなわち義務も)を与えます。

 多くの真摯な教師の知恵の集積である様々な技術は、かなりの割合の子どもにとって有効だと思います。が、同時に、有効ではない子どももいます。ある子にとって有効か無効かを判断できるのは、「当人」しかないと『学び合い』は考えます。もちろん、分かるとは何かを分からない子どもはいます。しかし、その場合は「当人」の周りの子ども集団で判断させるのです。そのような集団を作るべきと『学び合い』です。

だって、我々はエスパーではないのですから、他人が分かったか否か、楽しいと思うか否かを分かるわけ無いのですから。考えてもみて下さい。長い間連れ添った家内のことだって誤解することは少なくないのですから、他人の子どもを分かるわけありません。それが三十人もいるのですから。だから、子どもたちに判断させるしかないのです。

 さらに、今までの技術ことが書かれている本を子どもに与え、それ以上のものを生み出せと求めるのが『学び合い』です。だって、ユーザーこそが求められているものを知っており、それを吸収しない商品に未来の無いのはどの社会も同じです。あることが好きで好きでしょうが無い人が集まって作った商品は、一般受けしません。我々が手を焼いているのは、それが嫌いで分からない子どもなのですから。

 『学び合い』をやるには、今まで学んだことを捨てる必要はありません。活用すればいい。ただ、最初の3ヶ月ぐらいは封印しなければならないと思います。そして、『学び合い』がどんなものかが分かりかけたときに、それを吟味し使えばいいのです。

 その際に注意すべきは、目先の問題の解決に捕らわれ、「一人も見捨てない」という基本を忘れないことです。それを忘れてしまうと、あっという間に『学び合い』もどきになります。なぜなら、従来型の技術は子ども集団の問題を教師からは見えにくくすることが出来るという特徴があります。だって、教師の指示の基に同じ行動をすることを求めるのですから。

 一糸乱れぬマスゲームをしているクラスにおいて、一人一人の抱える問題は見えません。だから、教師にとって気が楽なのです。だから、問題が起こると従来型の技術をすれば一見問題を解決したように見えます。でも、「一人も見捨てない」という意識を持って子どもを見れば、つまらなそうにしている子どもが見えるはずです。それを見て「しょうがない」と思ったならば教師ではありません。それを見て、さらなる技術を加えようと思ったら従来指導型の教師です。それを見て、それを乗り越える集団を作り出そうと思い、それを生み出したのは自分の心にあると考えるならば『学び合い』です。そうであれば、様々な技術は有効です。

追伸 現在もゼミ生が『学び合い』以外の勉強会に参加することを奨励しています。ただ、その勉強会で西川ゼミであることを「カミングアウト」すると、変な顔で見られるそうです。あはははは。もちろん、それを乗り越えて参加して勉強しています。