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2011-10-12

[]うん、その通り 06:46 うん、その通り - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - うん、その通り - 西川純のメモ うん、その通り - 西川純のメモ のブックマークコメント

 『学び合い』に関して、○○流とか自校化ということに私は抵抗があります(http://bit.ly/n2s6sC)。それは『学び合い』を科学のようなものだと考えるからです。でも、それぞれが色々な方向性を求めるのは当然です。でも、違和感を感じていました。それがどこのところか、もやもやしていましたが、ゼミ生の一文を読んで納得しました(http://amba.to/q90jqG)。それは、○○流とか自校化と言う人は方法のところを言います。例えば、「最後に確認テストを入れる」とか、「一人の考えを確立する時間を設ける」とか。でも、本当はどんな子どもの姿を実現したいか、というとこにこそ○○流とか自校化があるべきなのです。

 例えば「最後に確認テストを入れる」というのは、「その課題を確実に出来る」ということでしたら、良いように見えます。しかし、教師が確認テストを入れなければ課題達成が出来ない子どもが、その人のその学校の目指すべき子どもの姿とは思えないのです。教師がそのようなことをしなくても、自分が、周りの子どもが確認テストをすることのほうが目指すべき姿だと思います。「一人の考えを確立する時間を設ける」も同じです。大人になれば、どんな雑踏の中でも自分の考えをまとめることが出来なければなりません。うるさいから職場の人たちに「静かに」と求められる人はいないでしょう。また、何も考えずに人に聞く大人が職場で生き残れるわけもありません。職場では色々な人から声をかけられます。その際、「ちょっと待っててね」と言えなければなりません。

 つまり、○○流とか自校化と言われる場合、「その場」のことのみで、目指すべき姿が無いのです。私は一人も見捨てないという願いのことを話したいのに、「その場」のことを気にされてそこが抜け落ちているからモヤモヤしていたのだと思います。

追伸 ゼミ生である二十四の兄ちゃんがこれだけの文章を書けることを誇りに思います。ま、西川ゼミの教育方針が正しいと言うことですけど。フォフォフォ

追伸2 もちろん○○流とか自校化と大上段に振りかざすのではなく、今の自分のクラス・学校の現状に鑑みて、しょうがないから方法に走る、というのは「あり」です。目指すべき子どもの姿を見失わず、それに至らない現状を恥じて、その方法を使う分には。