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2011-10-17

[]問題解決学習 11:25 問題解決学習 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 問題解決学習 - 西川純のメモ 問題解決学習 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 同志の学校の管理職が問題解決学習を推進し、『学び合い』を蛇蝎のように嫌う場合があるかも知れません。その時、どのように理解すべきか、簡単にメモりたいと思います。

 問題解決学習は戦後教育の成立と共にデューイの教育学が導入されました。しかし、その後、それが批判され系統主義に傾いたことに対抗するため上田薫先生が中心となって「社会科の初志を貫く会」が立ち上げられ、それが現在の問題解決学習に繋がっています。

 おそらく、同志の御校の管理職は専門は社会で初志を貫く会に所属された方なのかも知れません。

 長い実践の蓄積の中で様々な指導法が開発されました。しかし、それとともにどんどん形骸化していったのです。残念ながら。

 デューイや上田先生の著作を読めば、その願いは民主的国家の形成者を育成し民主主義を根付かせたいという願いが最上位に位置づけられます。ま、『学び合い』であれば「一人も見捨てない」にあたるものです。そして、それを実現するために「日常の諸問題」を解決することを授業で進めました。

 が日常の諸問題を解決することを推し進めれば、当然、旧来の教科の内容がおろそかになります。結果としてその反動がおこり系統学習が復権しました。このような振り子の動きは何度もありました。最近では「ゆとり学習」の反動がありましたよね。

 上田先生や初志の会の方々は、次の系統学習の中でも問題解決学習を根付かしたいと願いました。そして、それをより広い教師(つまり、それほど力量のない教師でも)が実践できるようにするため、様々な指導法が開発されました。そして、社会科以外の教科にも広めようとしたのです。が、繰り返しますが、その過程で、問題解決学習が目指している民主的国家の形成者を育成し民主主義を根付かせたいという願いが薄れてしまいました。そして指導要領のしばりから、「日常の諸問題」を解決することから外れました。当然、「日常の諸問題」ではなく教科の内容の問題解決であれば、子ども達がそれらを解決しようとする必然性は低まります。それを補うために様々なテクニックが開発されましたが、どうしても教科の不得意な子どもに必然性を感じさせることは難しくなります。それによって、「問題解決学習は結局、成績上の数人が活躍し、大部分の子どもは置いてきぼり」という批判が生まれるのです。

 さて、問題解決学習の実践を積まれた方の中には、『学び合い』を蛇蝎のように嫌う方がいます。しかし、その根幹はまったく同じなのです。だって、「民主的国家の形成者を育成し民主主義を根付かせたいという願い」と「一人も見捨てない」ということが矛盾することでしょうか?

 戦後の問題解決学習では、なんとか既存の教科内容を日常の諸問題にしようと苦労しました。ところが『学び合い』の場合教科内容はいじくらずに、「一人も見捨てない」という日常の諸問題を解決することが出来るのです。これが問題解決学習とどこが違うでしょうか?残念ながら根本の願いが忘れ去られているように思うのです。問題解決能力を育成すること自体が問題解決学習の願いではありません。あくまでも民主的国家の形成者を育成し民主主義を根付かせたいという願いだと思うのです。

 テクニックのレベルで見れば対立するかも知れません。でも、願いのレベルで見れば、同じ方向を向いています。結局、その是非は、どのように教えているかで判断するのではなく、それで運営されているクラスがどれほど民主的であるかで判断すればいいのです。

追伸 『学び合い』の見た目に惑わされ、その背後にある「一人も見捨てない」という強力な原理原則、そして、そのための教師の指導力が見過ごされてしまい、あたかも無政府状態と誤解する方も多いので困るのです。