■ [大事なこと]学び合い
良く聞かれることなので、いわゆる“学び合い”を整理したいと思います。
世の中には、子どもたちの関わりを中心として授業は山ほどあります。その中で、関わりの時間の割合が高い授業は広義の“学び合い”と言っていいと思います。それらはまず二つに分類できます。手段としての“学び合い”と目的としての“学び合い”です。
前者は何らかの目的のために“学び合い”を使うものです。そして、それは学力向上のために“学び合い”を使うものと、心(生徒指導や対人関係等)のために“学び合い”を使うものとがあります。両方を目指していると標榜しているものがありますが、手段として使っている場合、学力と心が融合していませんので実体を見るとどちらかに偏っています。もしくは同じ学校で“学び合い”をある人は学力のためと捉えていたいる一方、ある人は心のためと捉えています。
さて、もう一方は目的としての“学び合い”です。これらは“学び合い”は学校教育の中心として捉えているので、学力も心も分けられるものではないと考えています。これは子どもの能力をどれだけと考えるか(逆に言えば、教師の能力をどれだけと考えるか)によって二つに分かれます。
子どもの能力を低く考え、逆に教師の能力を高く考える立場の“学び合い”の場合は、教師が細かく“学び合い”に介入します。そして、それが教師の職能であると考えます。教師の職能を高めれば、数十人の子どもの一人一人を見取ることが出来、それによって一人一人を有機的に繋ぐことが出来ると考えます。
子どもの能力を高く考え、逆に教師の能力を限定的だと考える立場の“学び合い”の場合は、教師が細かく“学び合い”に介入しません。そして、それは教師の職能であると考えません。教師の職能を高めても、数十人の子どもの一人一人を見取ることが出来ず、それによって一人一人を有機的に繋ぐことが出来ないと考えます。むしろ、教師が細かく介入しなくても“学び合い”が成立する集団づくりこそが教師の職能だと考えます。これが『学び合い』です。
いわゆる“学び合い”を以上の分類で見れば、案外、すっきりと整理できると思います。