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2012-08-18

「大事なこと」どちらが正常 08:49 「大事なこと」どちらが正常 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 「大事なこと」どちらが正常 - 西川純のメモ 「大事なこと」どちらが正常 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 ゼミ生には自分たちが「変」で『学び合い』を分からない人のほうが普通である、と繰り返し言います。しかし、それはこの100年間だけのことです。人類の歴史から言えば、今の授業が「変」で『学び合い』は普通に戻すだけのことです。

 『学び合い』の手引き書に書いたことです。現状の授業は、ホモサピエンス数百万年の歴史の中では、「変」なあだ花だと思っています。『学び合い』は正常に戻すだけのことです。以下は引用です。

学び合い』は良いことずくめです。となると、「うまい話には何かがある」と眉に唾を付けたくなるのが人情です。私のところに月に5,6回ぐらいは「東京のマンションに投資すると絶対に儲かります」という勧誘電話が来ます。しかし、世の中にはうまい話はないと思っているので、瞬時に「興味ありません」と電話を切ります。それと同様に、先に書いた『学び合い』の成果は「うまい話」すぎて信じられないでしょうね。でも、時代の必然と考えています。

 我々の『学び合い』は言語という高度のコミュニケーション手段を持った群れる生物が、数百万年の生存競争の中で洗練したものです。意外かもしれませんが、人類の歴史の中で一斉指導が制度化したのは、近代学校制度が成立した200年弱だけです。それ以外の数百万年は『学び合い』で人類は過ごしていました。人類の歴史の中で一斉指導が成立したのも必然がありました。そしてそれが廃れていくのにも必然があると考えています。

 ほ乳類一般は、本能の他に学習によって生きるすべを獲得しています。猿人の時代から、人類はその学習に依存する割合の高い生物です。その学習は組織的なものではなく、血縁者を中心とした小さいコミュニティの中で、仕事に参加する中で学んでいました。それらは中世では徒弟制度と言われました 。ところが近世になるに従って身分制度が崩壊します。それによって農夫の子は農夫になるとは限らず、商人の子は商人の子になるとは限りません。米を作る農夫になるための知識・技能、織物商人なるための知識・技能は限られています。だから徒弟制度にでも伝えられます。しかし、あらゆる職業になるための大人を育てるには、あらゆる職業に必要となる知識・技能を教え、学ばなければなりません。そして、それらの共通の知識・技能を抽出すれば、個々の具体的な仕事・作業から離れていきます。その結果として成立したのは、職場とは別個の組織的な学習の場である学校です。

 当時の本は高価でした。コピー機もありません。学校で教える知識・技能を持っている人は、高学歴の一部の人だけです。つまり、教師からしか知識・技能を得ることはできません。一人の教師を雇うには予算がかかります。義務教育制度を維持することと、予算とのかねあいがあります。一人の教師が多数の子どもを教えるという一斉指導は当時の時代の必然です。

 ところが時代は変わりました。少子化によって保護者はお金をかけるようになり、都市部では塾・予備校などの学校以外の教育施設が一般化しました。しかし、これは都市部に限ったことではありません。本は安価になりました。通信教材も充実し、地方でも高度な教育を受けることが可能になり、事実、利用者は少なくありません。高等教育が一般化し、高校教育・大学教育を受ける人が多くなりました。結果として、学校で学ぶ知識・技能を持っている人は教師ばかりではなく、多くの保護者が持つようになり、通信教材を学ぶ我が子の横に座って教えることが出来る家庭が増えました 。テレビ・インターネットは学校教育では考えられない予算をかけた教材や、多種多様な教材を無料で与えてくれます。さらに言えば、日本の指導要領は全国民が学ぶべきことを規定しているものですので、極端に難しいことは求めていません。そして、日本の教科書は、その指導要領に準拠しております。そして日本の教科書は優秀ですし、副読本・参考書は多様です。従って、それらを利用すれば、自力で理解することが出来る子どもがいると考えています。その結果として、学校で学ぶ知識・技能を持っている「子ども」、また、自力で解決出来る「子ども」が出現するようになりました。『学び合い』はそのような「子ども」の存在を前提にしています。今から50年前には『学び合い』は不可能(もしくは困難)だったと思います。そして、現在においても発展途上国では困難だと思います。しかし、現在の我が国においては『学び合い』は必然となります。

 しかし、正確に言えば、『学び合い』を受け入れられる環境は1980年代、1990年代頃からは可能になっていたと思います。現在ほどではありませんが、塾・予備校に行く子どもはかなりいました。テレビでも良質な情報を流していました。また、良質な参考書は本屋にあふれていました。大卒の保護者も多くなりました。では、何故、1980年代、1990年代ではないのでしょうか?

 おそらく、保護者の変化が大きいと思います。私の時代は、保護者は戦前の教育を受けた人や、戦前の影響が色濃く残った教育で育った人たちです。それ故、教師が子どもを殴ったとしても「愛の鞭」と考える人たちでした。よほどのことがなければ、学校に怒鳴り込むということはありません。ところが、今の保護者はどうでしょうか?戦後教育で育てられた人に育てられた人たちです。自分の子どもの学力保障が成されていないとクレームを言います。自分の子どもが安心出来る環境を保障しないとクレームを言います。それが行きすぎた人をモンスターペアレンツと呼ぶ場合がありますが、親としての心情としては理解出来ます。そして、問題があれば納得するまで教師・学校に問い合わせ、求める親は多くなっています。

 従来型の授業では、必ず1、2割の子どもは、かなり厳しい状態におかれています。昔だったらクレームを言われなくて気にせずにいたのが、今はクレームを言われるようになったのです。行政もそれに対応して、クレームを言われないような自己防衛をし始めます。具体的には、「やっています」と証明するためのマニュアルや報告書を作成します。結果として、教師は書類作成に追われ疲れるようになります。そうなれば、保護者からのクレームに対応出来る心の余裕が無くなってもしょうがありません。

 さらにそれに追い打ちしたのは、学校の教師教育に対する教育力の低下です。十数年前から、少子化の対策として急激に採用を減らしました。ところが最近になって、少人数対策と大量退職に対応するため急激に採用を増やしています。結果として、教職員の年齢分布はフタコブラクダのような分布になっています。

さらに、交通の便利な学校の場合は、異動したがらず、結果としてベテランが多い学校になります。不便なところは新規採用者で補充するため、若手が多い学校になります。結果としてヒトコブラクダのような年齢バランスになります。

年齢分布がフタコブラクダのような職場では、ベテランが若手を教えることになります。しかし、教え込むという形になり、若手にとっては抑圧されたという印象を持ちます。結果として、煙たがります。一生懸命に教えたのに煙たがられたベテランは「今の若い奴らは」となります。年齢分布がヒトコブラクダのような職場では、最初は仲が良いのですが、似たようなもの同士の「突っ張り合い」がおこり問題が起こると人格否定まで進む危険性があります。結果として、相互不可侵で落ち着きます。

私が教師だった二十年以上前には、職員室の横にはお茶飲み場があり、色々の話が出来る場所があったと思います。私の職場だった高校では、新任教員である私を飲みに連れて行って奢ってくれた先輩教師がいっぱいいました。今はどうでしょうか?ベテランの先生は「今の若い奴らはつきあいが悪い」と愚痴を言います。でもしょうがありません、飲みに行ってもつまらないのですから、付き合わないのです。私は週に1回以上は先輩と飲みに行きました。理由は楽しいからです。しかし、それは個々人の問題ではなく、年齢バランスと選択の幅の問題なのです。

現在、指導能力不足で分限を受けている教師は、新任ではなく四十代の教師です。つまり、二十年以上教師をしていた人たちです。二十年使えた自分の指導が使えなくなり、改善できずに潰れていってしまったのです。使えた指導が使えなくなるのは当然です。子どもが変わり、保護者が変わっているからです。しかし、それ以上に変わっているのは自分なのですが、自分の年齢は自分では分からないものです。四十代になっても、頭の中は二十代のまんまということは普通です(私もそうでした)。しかし、子どもの前に立ったとき、子どもが教師に期待することは二十代前半の教師と四十代の教師とでは異なります。ところが、自分の年齢が分からないため、その切り替えが出来なくなります。しかし、若い教師と付き合えば自分の年齢が分かります。人間は関係の生物です。若い教師と付き合うことによって、中堅の振る舞いをするようになり、ベテランの振る舞いをするようになります。そして、若い教師に教えている中で、自分が学んでいくのです。ところが、そのようなことが出来ないと、昔のままの指導を続けることになり、結果として指導力不足になってしまいます。今の学校には、採用以来、ずっと最若年であるという三十代後半の教師はかなりいます。彼らは、学校において常に若手であり、中堅としての立ち位置に立ったことがないのです。

以上のような結果、自分に限界を感じている教師が増えました。

今までのことを捨てて、新しいことに取り組むというのは大変な決意が入ります。特に、いままででも「そこそこ」出来る場合は、ズルズルとなってしまう場合は少なくありません。考えて下さい。携帯電話の会社を変えたり、機械の会社を変えたりするのは難儀ですよね。ましてや授業を変えるのは大変なことです。

本屋に並ぶ本の圧倒的大多数はテクニックです。それらは自分を変えなくても使えるものばかりです。まあ、今までの携帯に周辺機器やアプリを導入して機能充実を図るようなものです。ところが『学び合い』は考えを変えることを求めています。これは、携帯会社を乗り換えたり、同じ携帯会社であっても操作法が異なる別会社の機種に乗り換えたりするのと同じようなものです。嫌がるのは当然です。

ところが、今、まさに、そうしないとどうにもしようがなくなっている時代になり、そして、今後はもっとどうしようもない時代になります。それが、今、『学び合い』が急激に広がっている理由です。

[]一人も見捨てない 07:43 一人も見捨てない - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 一人も見捨てない - 西川純のメモ 一人も見捨てない - 西川純のメモ のブックマークコメント

 昨日のメモに対する補足です。

 日本の教師の圧倒的大多数は一人も見捨てないことを目指して献身的に努力しています。勤務時間を超え、家族との時間を削ってでもです。その多くの方々は、そのような努力をしても救いきれない子どもがいることを知っています。その子どもたちが苦しんでいることを知っています。でも、今以上に何も出来ないことを知っています。だから、どこかで「しょうがない」と思わなければ精神的に病んでしまいます。それを納得するために、殺人的に自分を追い込んでいる教師が少なくありません。私は、そのような方々に共感したり、同情したりすることはしても、怒るわけありません。

 私は精神的に弱かった。独身で家族と離れていました。そして、私の勤務校は最底辺の高校で、暴走族はうじゃうじゃいるし、中学校の内申書が純粋無垢のオール1の子が山といました。家庭的には救いがない子どもは山ほどいました。そして、その子達にとって、健全な社会との繋がりの最後の最後です。退学して数日で窃盗で逮捕された子どももいます。退学して1ヶ月でヤクザのパシリなった子どももいます。独身だった私はありとあらゆることをしました。可愛がってくれた教頭先生が「君には嫁さんを紹介しないよ。君は早死にしそうだから」と言われました。おそらく、精神的に弱い私は、大学に異動しなければ早死にしたと思います。

 だから、学校現場で救いきれない子どもを毎日見続け、それをなんとかしようと努力しつつ、それでも報われないのに努力し続ける日本中の多くの教師に対して、尊敬の念を持ちはしても怒るわけはありません。

 私が怒っている対象は、見捨てられている子どもがどれほど苦しんでいるかを分かりもせず、分かろうともせず、自信が勝ち組であると思いこんで十把一絡げに批評している人たちにたいしてです。でも、そんな人は少数です。

 私が「一人も見捨てない」と言えるようになるには、二十年以上かかりました。学生時代は研究と実践を積み上げれば良い教師になれると単純に信じていました。しかし、高校教師になって1ヶ月以内に、それまで学んだことは殆ど役に立たないことを理解しました。大学や大学院で私が学んだことは、全て学ぼうという構えのある子どもに有効であり、学ぼうという構えのない子どもには無意味でした。それから落語を聞いたり、面白教材本をあさったり、教師ドラマの若い教師のようなことをして暴走族に物理の授業を成立させることが出来るようになりました。しかし、知っていました。分かった気持ちにさせることは出来ても、全員に分からせることは出来ないことを。また、私の授業でハッピーにさせることは出来ても、彼らが家庭や職場での苦しみを癒すことは出来ないことを。でも、私にはそれ以上のことは出来ませんでした。

 私は大学に異動して、私が高校で教えた子どもが分かるにはどうしたらいいか研究しました。その過程で3つの学会から5つの賞をもらいました。しかし、認知心理学のエキスパート・ノービス研究や誤解研究から、今の授業では絶対に分からせることは出来ないことを2000年ごろ結論しました。何故なら、子どもの分かり方は一人一人違うからです。現状では子どもの誤解A、誤解Bというおおざっぱなくくりでまとめ、それに対する指導法は対応できます。しかし、子どもの誤解はそんな単純なものではなく、一人一人違います。ところが毎時間、毎時間、30人が一人一人の誤解や発展的な課題を持っていることを認めると、それに対する指導が必要です。ところが1校時の人数分で割れば、1分少少です。さらに、現状では教師は板書発問に大部分の時間を費やしているため、個別対応の時間は極わずか。それを30人で割れば、十数秒もないでしょう。

 さらに日本の教員養成・教員再教育は認知心理学的には明らかに誤った仮定の上に成り立っています。それは、教師がよく分かり、よく知っていれば、良く教えられるという素人的な仮定です。実際は、知れば知るほど、分からない人の気持ちは分からなくなり、分からない人を説明できないのが人の頭の構造です。分かりやすいのは大学教師が教えるのは下手だといわれるのは、それは知りすぎており、分かりすぎているからです。

 だから、「どのような指導を教師をすればいいか」という今までの問いを捨て、「その子にとって最善の指導はどれであるかを分かるのは誰か」という問いをたてました。それは「本人であり、周りの子ども」です。当たり前のことですが、教師はエスパーではなく、子どもの心を読み取ることは分かりません。その子が、分かったか、分からないのか、面白いのか面白くないのかを分かるのは当人しかありません。その当人がそれを元に分かる手助けを出来るには膨大な会話が必要で、それは物理的には教師には永遠に出来ないことです。これは努力云々では乗り越えられないものです。だから善意の教師があれだけ努力しても満たされなかったのは当然です。

 でも、その当時は「より多くの子どもが分かる」程度の志でした。「分かる」とうことを目指していましたが、やがて学習指導と生徒指導が関係することが分かっていました。それも、両者が独立で密接に関わっているというのではなく、両者は不分離であることが分かりました。やがて「分かる」から「救う」という志にシフトしました。

 しかし、一人も見捨てずと言えるにはさらに時間がかかりました。様々な障害を持つ子どもも含めて「救える」と確信を持てるようになれたのは、2005年ごろからの実践・研究成果に基づくものです。しかし、それを完璧にするにはクラスでは完結できません。クラスの学習を安定させるには、学校が有機的に関わらなければなりません。それに確信を持てるようになれたのは2009年頃からの全校『学び合い』の実践・研究成果に基づくものです。だから私が「一人も見捨てない」という言葉を使い始めたのはその頃だと思います。

 しかし、その頃は、学校にいる間「一人も見捨てない」でした。しかし、愛する教え子の幸せを保障するには、学校間の連携や地域との連携が必要です。学校間は既に実現しました。これから3年間で地域コミュニティーの再生が我がゼミの課題です。

 私が教育研究に足を踏み入れたのは1982年です。それから「一人も見捨てない」という言葉を言うには27年もかかってしまいました。それまでに書いたレフリー付き論文は143報で、これは平均的な教育研究者二十人弱の業績に当たります。「一人も見捨てない」ということが難しいのはごく当然です。しかし、『学び合い』を4月1日から3月31日、1回やれば、少なくとも「一人も見捨てない」ということは可能かも知れないと実感できるほどの実践・研究の積み上げはあると思います。