■ [嬉しい]誇り
私が教育の世界に足を踏み入れたとき、私が願ったのは、ちょっとでもまじめに授業を聞いて欲しい、10点でも点数が上がって欲しい、でした。もちろん子どもの幸せを願っていましたが、漠然としたものです。「勉強が分かれば、まともな生活ができる仕事に就けるな~」というレベルです。人格の形成レベルのことは、部活や個人的につきあえる子どもには出来るかも知れないとは思っていました。でも、それ以外の子どもを無意識に除外していました。
私はルーキーズという映画が大嫌いです。映画のクライマックスでは主人公の教師が顧問である野球部の子どもを集めて熱く語る場面があります。多くの人は感動します。かつての私だったら感動します。でも、今の私は反吐が出るほど大嫌いです。その教師は野球部の顧問である以前に、学校の教師です。もし、小学校の担任が卒業式の後に、3人ぐらいの子ども「だけ」を残して、熱く語ったらどう思われるでしょう。明らかな「依怙贔屓」です。しかし、現状の教師は教え子全員の人格形成をすることを諦めています。そのため、教師としての誇りを保つためには部活に打ち込むしかありません。
教育研究・実践の世界に足を踏み入れてから31年経ちます。今、私は誇りと確信を持って言えます。
教師は教え子を一人も例外なく、生涯にわたって幸せにすることが出来る。いや、同僚たる教師も、保護者も、地域も幸せに出来る。一人も見捨てられない地域社会を実現できる。
と。なんと大それたことを言うのでしょう。二十年前の私が今の私を見れば、クレージーそのものです。でも、たった一度の人生で選んだ教師という職業を本心から誇りに思っています。この誇りは、日本中の全ての教師が持てる誇りだと思うのです。
全国の同志の方へのエールです。一人で出来ることは小さい。でも、我々は同じ方向に向かって着実に進んでいます。
追伸 新興宗教と揶揄されるのも当然だな~っと、しみじみ思います。宗教ではなく、徹頭徹尾、実証的データに裏付けられた科学的事実なのですが。