■ [ゼミ]笑顔

本日の学食での話題です。大学院入試の話題が出ると、必ず「西川先生が怖かった」と言われます。私は別段、厳しい質問なんてしません。ずっとコース長である関係で、たいていは試験室の責任者になっています。そのため、最初の型どおりの質問の後はボーッとしています。それなのに「怖い」と言われます。そこで、私がボーッとした状態の顔を見せて、「これが怖いの?」と聞くと、院生さんたちは口々に「その顔が怖い」と言います。とほほ。そこで、「じゃあ、いつもニコニコしたらいいの?」と質問したら、我が教え子で現在同僚のMさんが「先生、このメンバーにそれを言っても駄目ですよ。先生の笑顔が一番怖いことを知っているみんななんだから。笑顔の西川先生を夢の中で見て、うなされる経験をした人もいるんだから」と言いました。私の周りの西川ゼミのみんなは同意したようです。
じゃ、どうすればいいんだ!
■ [大事なこと]絵本

大学院時代、1日13時間以上、難しい本と格闘し続けました。テレビ、映画、漫画などの娯楽は絶っていました。頭の中は、へとへとです。へとへとなのですが、なかなか眠れません。酒を1升以上飲んでも眠れないのです。そんなとき、「腹ぺこ青虫」のような絵本が実にいいのです。これは、あの時期だけのことで、その後、あの面白さが分かるようになったことはありません。
テレビや映画は味付けの濃い料理です。一方、学術の本は、言ってみれば薄味の料理です。かすかに感じる味やダシを見いだし、感じなければなりません。それに浸りきっているので、幼児のように絵本の面白さが分かるのだと思います。
■ [親ばか]甘えん坊

息子の食事の後、仕上げ磨きをするのは私の仕事です。最近は夕食だけですが、その時は今もしています。最近は反抗期に入り、イライラすると暴言を吐くときもありますが、その時の息子は完全無防備になり「もう、どうにでもして」という感じになります。そんな息子を膝の上で仕上げ磨きをします。う~ん、いつまで続くのかな、と思いました。でも、ふと気づくものがありました。
家を出発する前に、私がワイシャツをズボンから出ていることを気づいた家内が、幼稚園児にするように両手でワイシャツをズボンの中に入れてくれるときがあります。その時私は、「もう、どうにでもして」という感じになります。
つまり、五十代になっても続くということです。
■ [大事なこと]読むとき、読めないとき

教育系の大学人の中には、やたらいろいろなことを知っていて、いろいろなことに批評が出来る人がいます。様々な文献を読んでいるので、その批評は説得力があります。しかし、私の知っているそういう人の多くが、論文を全く書かない人なのです。その人曰く、頭の中で積み上げて積み上げて、最後に集大成たる博士論文を書き上げるのだと言います。そして、理系等のように二十代に博士の学位を得ることを馬鹿にし、理系の博士という学位とは違うと主張します。しかし、確かにそのような論文を書き上げる人もおられますが、残念ながら大多数はそれも無しです。そうなると、厳しい言い方かもしれませんが、論文を書かないのではなく、書けないのだと思います。
でも、不思議です。そのような人と話すと、本当によく勉強しているし、理解している。
ふと納得しました。私は論文も本も多作です。その私の経験から言えば、本をどんどん読める時期と、読めない時期があるのです。読めない時期は、論文や本をどんどん書いているときなのです。そのような時期は現状の頭の枠組みをフル回転させている途中なので、異質なものは受け入れられません。しかし、やがてそれに飽き足らなくなります。そうなると枠組みを動かすのを一度止めて、本を読みながら拡張したり、既存の枠組みを捨てて再構築しなければならない。その時は本を膨大に読みます。
多くの人は知りませんが、大学教師と研究者は違います。大学教師は大学で教えている人です。研究者は学術論文・学術書を生産している人です。理系の場合は、両者は一致しなければなりません。しかし、生産することを求められず、生産された海外の文献を読み込み講義することだけを求められる場合もあります。明治当初の多くの大学はそうでした。そして、その名残がある学部があります。また、
私は大学教師であり、かつ、研究者であることは望ましが、片一方だけでも価値はあると思います。しかし、その一方では一流であるべきだと思います。そう多くはないですが、大学教師であることを評価されるときは「自分は研究者である」と主張し、研究者であることを評価されるときは「自分は大学教師である」と主張する人がいます。また、
また、大学に籍を置いているだけで、研究者だと主張している人がいます。それは小学校の先生にアドバイスしてる大学教師が、「私は小学校教師の能力がある」と主張しているのと同じだけ不遜です。ちなみに、私は小学校の先生方にアドバイスはしますが、私は大学教師とその卵の教師としてはプロですが、ピアノも弾けるし、小学校1年にも6年にも毎日教えられる小学校の先生と同じ能力は無いことは十分分かっているつもりです。もし、私以下だったら、アマチュアであると言うことです。