■ [大事なこと]必要な人
各人、それぞれの健康法がありますよね。特に、三十後半の人には。例えば、毎日、あるものを食べるとか。我が家にもあります。毎日、ゴマときな粉を混ぜた牛乳を朝飲んでいます。私はこれは良いことだと思います。少なくとも、それを食べれば良いな、と思っているならば、それだけで良い効果はあります。
でも、万人すべからく効果があるわけではありません。効果のある人もいれば、それほど無い人もあります。ま、ゴマときな粉を混ぜた牛乳を朝飲むことがマイナスに働くことは無いですが、でも、アレルギーの人もいますよね。
もし、私が国の絶対権力者で、私の経験から国民全員にゴマときな粉を食べることを強いたらどんなことがありでしょうか?良いとは思えません。
さて、ここまでは納得ですよね。
本日は臨床教科教育学会が上越でありました。学会では理論と実践の往還がテーマです。私なりの意見をシンポジウムで話しました。でもね、本音トーク満載の会でしたので、面白かったですよ。文科省のお役人(若い方で、やる気のある方です)もいっしょになって話しました。面白かった。断言します、私の参加した学会のシンポジウムで、面白さはナンバーワンです。
懇親会です。その時、ある方から「理論と実践の往還は、大学より現場が必要としていることです」と教えて貰いました。なるほどと思いました。
残念ながら、理論を担当している大学と、実践を担当している学校現場のは音信不通状態です。それをつなげようとして臨床教科教育学会を立ち上げました。
ところが大学の研究者はいまのところ学校現場と音信不通であっても、その世界の中では生きられます。だれかさんの思いつきで、これこれしなさいとはいわれません。ところが、学校現場は思いつきであふれています(http://p.tl/UQXI)。数少ない自分の経験を安易に普遍化し、それを人に強いることにあふれています。私の知る限り、学校現場で強いられていることの圧倒的大多数は、学術的には効果が無いことが明らかにされています。
文科省レベルの提言の場合、必ず学術研究者が一定数以上呼ばれ、吟味をされます。ある学者が正しいと確信していることでも、別な学者はそう思っていません。結果として、細かいところは並立表記にしています。
ところが、県や市レベルでそのようなことはあまりなされていません。残念ながら、学術を馬鹿にしています。結果として、そのチェックを受けていません。そして、県や市のレベルでは、その組織全体の議論の結果では無く、その組織のごく一部の判断によって決められてしまします。その結果、学術的には明らかに誤りであることが、学校現場の一人一人の教師が強いられるのです。学校現場の多くの人は教育の学術の成果を知りません。そのため、強いられて、嫌だな~、効果が無いな~と思っても、それに対する反論の根拠を持たないために、それに甘んじます。
学校現場は学術に従う必要はありません。取捨選択するのは、現場の人です。でも、学術は多くの人が、膨大なデータに基づき積み上げているものです。個々人のおもいつきよりは、「まし」であることは確かです。