■ [う~ん]何のための
私が教育実習で何を考えたか?それは「授業らしき」ことが成立すること。つまり50分間、私のコントロールで子どもを動かすことです。逆に恐ろしかったのは、話すことが無くて呆然とすること。だから、指導案は、絶対に50分間話せるようにすることでした。
正式採用になれば、教科内容だけで勝負しなくてもすみます。最初は話術、そして人間関係。そうなれば、なんとなく授業は出来ます。でも、毎日の授業研究は50分間を埋めること。
でも、そこには「授業らしき」ことが成立することだけしかなかった。今は分かります。なんと低次元な教師だったかを。
でも、教師になって十年、二十年たてば、「授業らしき」ことをする術は長けます。でも、授業とは何かとは考えなくなります。
二十年、三十年たてば「学年経営らしき」ことをする術は長けます。でも、学年経営とは何かは考えなくなります。
三十年以上たてば「学校経営らしき」ことをする術は長けます。でも、学校経営とは何かを考えなくなります。
学級経営も、学年経営も、学校経営も、同じなのです。明確な方針を示し、評価することなのです。管下のメンバーが管理者をどう思うかはどうでも良いことです。管理者は、管下のメンバーがどう思うと、管下のメンバーの幸せは何かに関して確信を持ち、求めねばなりません。管下のメンバーが何を言っても、管下のメンバーを愛しているならば、ハッキリと言えるはずです。
が、辛いものです。
とりあえず「らしき」+イベントでやったと思いたいのは人情です。でも、教師や校長は管理職です。管下のメンバーがどうおもおうと、彼らの幸せを実現する責務があります。でも、そうできる人はごく一部です。