■ [大事なこと]願いは叶う

落語の紺屋高尾、幾代餅の最後の決めの話に以下の言葉が語られることがあります。
「傾城に誠なしとは誰が言うた 誠あるほど通いもせずに 振られて帰る野暮なお客の憎体口」
良いな、と思います。
そんなの無理だ、そんなの理想論だ、とよく言われます。しかし、そう言っている人は幸せなのでしょうか?私にはそう思えません。駄目な理由を見つけ、それによって合理化している人生を幸せとは思えません。
紺屋高尾の久蔵は誠を尽くした結果、高尾の誠を得た。ハッピーエンドです。でも、高尾の誠を得られない場合が普通です。では、久蔵は愚かなのでしょうか?高尾にふられた後の行動によって愚かなのか、そうで無いのかが分かれます。愚かな人間は、だから「誠」は無意味だと言います。そういうことによって合理化します。でも、そして、誠の無い人間になり、人から誠を受けられない人になります。
では、愚かで無い人はどうしたら良いでしょうか?誠を得られなかった、それを出発点として、それを良かったと後に思えるように動き続けることなのです。そのためには、自分に誠はあったかを考え、足りない部分を探しましょう。そして、誠を尽くす対象が正しいかを考えましょう。
決まった結果は動かせません。でも、今から出来ることがいっぱいあるのです。
http://manabiai.g.hatena.ne.jp/jun24kawa/20131019/1382186563
■ [報告]今日

昨日は飯田市で吞みました。前からお会いしたかった校長にもあえたし、いろいろな方にも会えました。本日は、その校長先生の学校で講演会。昨日のからの流れで、近々に面白いことが出来そう。
5時間の高速バスに乗って東京に到着。東京の仲間と吞みました。これまた新しい出会いと、懐かしい出会いがありました。明日受験のあるゼミOBとも会いました。馬鹿、と思います。ま、彼はそういう子だから。幸多きことを願います。
地元上越、地方の呑み会、いずれも終わってから直ぐに家に帰れます。ところが、東京の人は吞んだ後電車に乗って、それも乗り換えして家に帰ります。私も昔はそれができましたが(高校生の頃)、今は出来ません。とほほ。