■ [大事なこと]一人も見捨てない
『学び合い』は教科学習を中心にしています。だって、一番多い時間ですから。さて、その場面で「一人も見捨てない」と言うと、「全員が分かるようになるわけない」と多くの先生は思います。でも、少なくとも私は「全員を分からせられる」と言ってはいませんです。私が言っているのは、「一人も見捨てず」なのです。この違いが多くの先生には分からないだろうな~っと思います。
多くの先生は、教科学習での教師の仕事は「分からせる」と考えています。ところが『学び合い』では、教科学習での教師の仕事は子どもの一生涯の幸せを実現すると考えています。つまり、仮に、ある子がその授業時間で分からなくても、その時間で学んだことが一生涯の幸せに繋がるならばOKなのです。
もちろん、『学び合い』をやった方が分かるのようになるのは当然です。(ただし、本当に『学び合い』をやった場合ですよ)だって、『学び合い』では子どもは寝ません。寝ている子どもが起きて曲がりなりにも学習活動に参加すれば分かるようになります。そして、全然分からない子どもの気持ちや理解を全く分からない教師の説明ではなく、分からない子どもの気持ちや理解を分かる、ちょっと分からない子からのアドバイスを受けることが出来ます。だから、分かるようになります。
が、知的な障害があるこの場合はそれは無理です。でも、私は絶対に一人も見捨てたくない。見捨てたとたんに、その子の人生がどうなるかを嫌と言うほど見てしまったから。ではどうするか。人の幸不幸は、人との繋がりが決めます。それは成績の上位層の子も同じです。だから、「子どもたちが」一人も見捨てない、ということをどれだけこだわり、諦めないかがポイントとなります。
が、教師の仕事は教科書に書いていることを教えることと思っている先生には、思いもつかないことなのでしょうね。
■ [大事なこと]褒め方
昨日の懇親会で、「私は褒めるのが下手なんです。どうしたら上手く褒めることが出来るんですか?」と相談されました。聞いたとたん、その人の教室における姿がありありと見えました。満面の笑みをたたえて以下のように応えました。
まず、あなたはダメな子を見ている。でも、そんな子を見ても仕方がない。その子ではなくクラスをリードする子を見て下さい。第一に、ダメな子であっても、あなたの一斉指導の状態よりはマシでしょ?だって、少しはやるから。あはははは
次に褒め方。あなたは子どもに近づきすぎている。壁に寄っかかって全体をボーッと見ていればいいよ。そうすればあなたをチラ見する子がいるはずだよ。そのチラ見する子どもに合わせて、ムスッとした顔をしたり、ニッコリと笑えば良い。子どもの細かいところは教師は分からない。彼らをよく分かっているのは彼らだよ。そして、分かった子はあなたに評価を求める。ただ、それがいつ、誰がやるかは分からない。だから全体をボーッと見る必要性があるんだよ。
その方は「ある先生からは、良いことがあれば、直ぐに、どんどん褒めなさいと言われらのですが」と問われたので、私は「じゃあ、あなた出来るの?そして、クラス全員もれなくできるの?」と言いました。笑いながら首を振りました。『学び合い』は絶対に無理なことは求めません。
全体を見取って、特に良い行動はポント肩を叩いたり、「いいな~」と言えば良いのです。それは気取る必要はありません。気持ちのまま、心のままが良いのです。そして、授業の最後にまとめましょう。
以上が褒め方のアドバイスです。
■ [大事なこと]合う人・合わない人
色々な学校で手ほどきして、「あ、この人、直ぐに分かるな」と分かる人は以下のような人です。
授業中の教師と子どもの表情が柔和なのです。話術の人は表情を作ります。そのようは表情ではありません。その先生が言い間違えをすると、誰かが直ぐに突っ込んで、クラスが爆笑します。その先生はニコニコと言い訳をして、直ぐに本題です。子どもに任せる場面が多いですし、任せる時の条件(つまり、どこまで任せて、どこまでは守るべきもの)が分かりやすい。とにかく、教室に入って教師と子どもの表情を見れば直ぐに分かります。
高圧的な人はダメですね。子どもを信じられない。というより、自分が子どもに慕われることを想定できない人ですから。
話術の人は、それほど喋らなくてもポイントが分かれば子どもが動くことが分かれば会得します。一度会得できれば、表現のバリエーションが多いですから。叱り方、おだて方が上手い。
教材で頑張った人も難しいですね。それまで積み上げたものを捨てなければならないのですから。理屈も立つので合理化が上手い。だから、なかなか変わりません。しかし、一度会得した時、素晴らしい授業が出来るのはこのタイプの人です。
クラス経営や授業に難があり、周期的に問題を起こしつつ、「私は悪くない」と合理化する人がもっともやる授業方法は高圧的な授業です。だから一番目の人と同じです。
クラスにおいてアスペルガータイプの子どもが『学び合い』の集団に入るためには、それ以外の子どもが『学び合い』の文化の中に入っている必要があります。それと同じで、高圧的な授業をする人を説得する術は私にはありません。周りの先生が変わるしかないのです。
■ [大事なこと]禁断の言葉
かつて「受け狙い」で本の副題に「教職経験5年以下の人は読まないで下さい」と書きました。あれは本気ではありません。でも、ずっと思っていることがあります。
『学び合い』の手ほどきをして、直ぐに分かる人と、なかなか分からない人がいます。また、ネット上や本やその他で『学び合い』を否定する人の言葉を読みます。そこで感じることがあるのです。
現状の一人の教師が数十人の子どもに教える現状の授業では、絶対に取りこぼしがあります。これは絶対です。私は大村はま先生に教えて貰った人に直接会いました。その人曰く、同級生は大村先生を「ババア」と呼んでいたそうです。大村先生であってもそうであれば、私なんかは「クソジジイ」でしょう。職業柄、授業名人と全国的にも知られている方々の授業を見ます。ただし、私は教室の後ろから見るのではなく、教室の前の入り口から子どもたちの目を見ています。そうすると5分頃に目がうつろになり、十五分頃には多くの子どもが宇宙に飛び立っています。それはその方々の授業能力の低さを示すものではありません。現状の授業の必然なのです。であれば私たち凡夫がどうなのか・・・
授業をやれば、つまらなそうにしている子、宇宙に飛び立った子どもの姿が目に入るはずです。高圧的な授業をやれば見えなくなりますが、ちょっと意識すれば気づくはずです。例えば、指示を与えてから鉛筆の動くまでの微妙な姿で。話術巧みにやれば面白おかしく授業を組み立てることは出来ます。しかし、面白話は面白話に過ぎません。本題に戻れば目が変わります。
しかし、つまらなそうにしている子や分からない子を意識し続ければ授業が成立しないし、気を病みます。だから、教師になってしばらくたてば、無意識にその様な子を見ないようにするようになります。しかし、その時です。
「仕方がない」と思うか、「う~・・・」と思うかが違います。
「仕方がない」を合理化する方法として、5つあります。
第一は、高圧的な授業をして子どもがつまらなそうにすること、宇宙に飛び立つことを禁止します。こどもはそう見えないようにする術を高めます。
第二は、話術を巧みにして面白おかしい授業をします。そして、自分を計画通りだと思うのです。高校教師時代の私がそうでした。
第三は、授業の教材を深めることにエネルギーを費やします。しかし、そこにある子どもは「子ども」という抽象的なものです。そして、子どもの中から思った通りの言葉が出ると大満足です。
第四はクラス経営や授業に難があり、周期的に問題を起こしつつ、「私は悪くない」と合理化している人です。とにかく、何もやりたくないのです。
第五は、部活指導に燃えるのです。
以上、5タイプの中の1から4が『学び合い』の手ほどきを拒否する人です。ネット上や本の文章を読むとどのタイプかよく分かります。『学び合い』が何がダメと書いているかで分かります。その視点で読むと面白いですよ。だから、私がその人たちと議論するとしたら最初の一言はみんな同じです。「それを全員に出来ますか?」です。
で、だから「一人も見捨てたくないと思わない人は読まないで下さい」と本の副題に書きたいのです。ま、書きませんが。だって、書かなくても買わないでしょうから。
■ [大事なこと]『学び合い』
昨日の越後『学び合い』の会でOBから「私が『学び合い』を実践しているかどうか分かりません」と言われました。フルの『学び合い』の凄さは良く知っているのですが、諸般の事情でフルの『学び合い』を実践できません。隠れキリシタンのようにやっているのでしょう。私は迷い無く以下を言いました。
まず、授業において全員達成を求めているか?
次に、それを評価しているか?ただし、ネームプレート等を使って本当に全員達成をしているかを評価していなくても、子どもたちの行動を見取り、全員達成に向かっているか否かを語ってれば良しとする。
次に、その全員達成のために子どもたちに十分な時間の手段と時間を与えているか?その自由度によって、『学び合い』の程度が現れる。
なお、可視化と同様に最初の「全員達成を求める」は『学び合い』文化が成立した集団では不必要です。二番目の評価も成り立っている限りは言う必要はありません。しかし、3番目はずっと必要です。
だから、私は知らない学校に飛び込んで、1時間程度で全学級・全職員の『学び合い』の程度を見取ることが出来ます。私が見ているのは、どれだけ子どもに任せているか、と、任せている子どもを教師がどのように見守っているかです。