■ [嬉しい]新種
![新種 - 西川純のメモ のブックマークコメント 新種 - 西川純のメモ のブックマークコメント](http://r.hatena.ne.jp/images/popup.gif)
本日は、新種の2人の生物に出会った。二十台なのに、そして一人は『学び合い』を実践して数ヶ月なのに、『学び合い』を5年以上実践している四十台の教師よりすごい生物なのです。
私の発言に対しての切り返しが、「え?その切り返しが出来るの」とビックリです。テクニックレベルではなく、学校観、子ども観が腑に落ちない限り、絶対に出ない切り返し方です。
私の同年代の狸2匹と、子狸1匹と一緒に大笑いして、ビックリしました。
■ [大事なこと]願うこと
![願うこと - 西川純のメモ のブックマークコメント 願うこと - 西川純のメモ のブックマークコメント](http://r.hatena.ne.jp/images/popup.gif)
以前、『学び合い』の良さを分かった立法や行政の方から「我々は何をやったいいですか?」と聞かれました。私は、「『学び合い』を強いないで欲しい。『学び合い』は心でやる教育、強いられて出来るものではありません。ただ、禁止しないで欲しい。やらせてくれれば結果は出ます。少なくとも成績を下げずに、人間関係を向上させることは、『学び合い』初心者でも出来ます。その結果の蓄積で分かってくれる人が増えてきますから」と申しました。
しかし、今は、もう少しお願いしたいなと思います。
残念ながら、見てくれだけを見て『学び合い』を禁止する校長や行政の方がいます。まあ、その方々は日本の教育の不易なところを守っている方だと思っています。ただ、論理的な議論が出来ないのが残念です。その方々は個人的な経験や、だれか偉い人が言っているからといって何らかの方法を強いる場合があります。行政がある方法を強いる場合、その方法に従ったかはチェックしますが、その方法を強いた結果として結果が出たかに関しては黙ってしまいます。それは校長もそうです。
だから、なんらかの権力のある人は、ちゃんと評価を受ける必要があると思います。
私としては、学校ごとの学力テストの点数(例えばNRT)や出席率の「分布」を公開するべきだと思います。もし、分布が煩雑だとしたならば、NRTの30%を切る子どもの割合、出席率が90%を切る子どもの割合を公開すべきだと思います。
そのデータはその校長が赴任した年度末のデータを利用するのです。全国学力テストは多くは新年度早々です。その場合は前任校長のデータと考えます。
こうすれば、よほど変な校長でなければ特定の方法を強いることはしないはずです。する場合はしっかり勉強するはずです。そして、多くの校長は管下の職員に自由度を与え、その中で有効な道を探すはずです。それは行政も同じです。よほど変な行政でなければ特定の方法を強いることはしないはずです。する場合はしっかり勉強するはずです。そして多くの行政は管下の校長に自由度を与え、その中で有効な道を探すはずです。
追伸 平均点や東大入学者何人で評価するならば、いくらでも子どもを切り捨てることが出来ます。
■ [大事なこと]結果
![結果 - 西川純のメモ のブックマークコメント 結果 - 西川純のメモ のブックマークコメント](http://r.hatena.ne.jp/images/popup.gif)
『学び合い』は成績を上げられます。上げられないならば、本当の『学び合い』から離れていると言うことを示します。気に障るかもしれませんが、お読み下さい。
『学び合い』で成績を上げられない原因は3つだけです。第一に、『学び合い』をやっていない。第二に、成績を上げることを子どもに求めていない。第三に、日々の課題と求める成績の評価と一致していない。この3つだけです。
『学び合い』はものすごくシンプルです。が、プラスアルファをする場合がある。それが本当に有効かを考えて欲しい。『学び合い』は全ての子どもは多様であることを前提としています。従って、統一すべきは学び方ではなく、達成しなければならないものなのです。だから、方法に関して強いません。
第二に、求めなければ、成績は上がりません。このあたりは小学校の同志にありがちです。中学校や高校の同志の場合は、成績を上げることを求めているでしょう。しかし、注意して欲しいのは、成績を上げる最大の道は、本人が成績を上げたいと思うようにすることなのです。それは「第一」に関わりますが、学び方の方法ではなく、何のために学ぶかをちゃんとかたり、集団をつくる以上のものはありません。
第三は、自分自身の思い込みを捨てて下さい。目標と授業と評価は一致しなければなりません。私の考える教科は、と思われるならば、それに一致する授業をするのは結構です。しかし、その場合はそれに一致する評価をしてください。そして、保護者やお上から求められている評価を達成しない場合、子どもを守れるかを考えて欲しい。
『学び合い』で成績は上がります。理屈は簡単です。成績向上は本人がその気にならなければならない。のりしろの大きい成績中位層、下位層の子どもがその気にならせるのは周りの子ども。同志であれば、このことはおわかりだと思います。だったら、向上しないのならば、そこが成り立っていないと言うことです。もし、納得できないならば、授業の様子のDVDと日々の課題とテストを送って下さい。分析いたします。
■ [大事なこと]アクティブ・ラーニング
![アクティブ・ラーニング - 西川純のメモ のブックマークコメント アクティブ・ラーニング - 西川純のメモ のブックマークコメント](http://r.hatena.ne.jp/images/popup.gif)
昨日の呑み会の話です。私は「アクティブ・ラーニング」という言葉を使うことを勧めたら、「アクティブ・ラーニング」って何です?と聞かれました。
ちょっと説明します。
アクティブ・ラーニングの定義は学術の世界でなされていますが、人文系用語の多くと同じで厳密ではなく、人によって多様に使われます。そして、それらは現場の教師にとって大事ではないのです。じゃあ何が大事かと言えば、文部科学省の使う定義なのです。
役所の文言は予算や人事に関する部分はものすごく厳密に書かれています。点の位置が違うだけで、億のお金の動きが変わり、数千の人の人生が変わります。ところがそれ以外の部分、特に趣旨の部分は叙情的です。その文章で大事にされるのは、非難されない、ことなのです。だから表現は一般的になり、網羅的になります。それは文科省の文章も同じです。
現状のところの文科省の官製のアクティブ・ラーニングの定義は、『新たな未来を築くための大学教育の質的転換に向けて~生涯学び続け、主体的に考える力を育成する大学へ~(答申)』平成24年8月28日中央教育審議会の用語集にあります。それによれば「教員による一方向的な講義形式の教育とは異なり、学修者の能動的な学修への参加を取り入れた教授・学習法の総称。学修者が能動的に学修することによって、認知的、倫理的、社会的能力、教養、知識、経験を含めた汎用的能力の育成を図る。発見学習、問題解決学習、体験学習、調査学習等が含まれるが、教室内でのグループ・ディスカッション、ディベート、グループ・ワーク等も有効なアクティブ・ラーニングの方法である。」とあります。
読んで分かるように、誰からも非難されるものではありません。そして、方法に関しては網羅的であり、かつ、「等」で締めくくられているのです。
では、この文章をどのように使うかということです。
例えばです。(同志の方は、それぞれの頭で考えて下さいよ)
『学び合い』に関して多くの人が嫌うのは、「たち歩き」なのです。規律がなっていないと言います。だったら「たち歩き」とは言わずに、「学修者の能動的な学修への参加」と言えばいいのです。授業中は「たち歩いていいよ」と言わず、「もっと能動的になりなさい」と言えば良いのです。少なくとも一般の人に見せるときには。
そして、指導案では認知的、倫理的、社会的能力、教養、知識、経験の6つの項目を立てて、それぞれに何を学んでいるかを記述するのです。逆に、参観者(指導主事も)には6つの項目をたてた用紙を渡し、そこで観察したものを記述し、それをもとに授業検討会を進めるのです。
同志の方々、私がニヤニヤしながらこれを書いている姿が分かりますよね。『学び合い』の授業を『学び合い』の同志が観察したら、6つの項目を数多く記述することが出来ます。しかし、一般の授業で、一般の人がそのような用紙を渡されたら、倫理的、社会的能力、教養、経験を書くことは困難だと思います。
そしてたち歩いている状態を流動的グループ・ディスカッションと書けば良い。
そして、もし『学び合い』が駄目だといわれたら、『学び合い』という言葉を使わなければ良い。そして、何かの方法論を強いられたら、認知的、倫理的、社会的能力、教養、知識、経験の6つをどのように実現したら良いかを問えば良いのです。もちろん笑顔でね。
今後、アクティブ・ラーニングに関する文章が出ると思います。しかし断言します。文科省は特定の方法論を絶対に強いません。そして、汎用的能力の育成を求める方向性は変わりません。それらをバランスよく、定常的に育成できるのは『学び合い』だけだと思っています。不遜ながら。
同志の方々は、文科省レベルの文章をちゃんと読んで理論武装して下さいね。