■ [大事なこと]再生産
個人的には悪気はないことは十分に分かっています。
世の中には3兄弟を東京大学に入学させた母親の本や、ビリギャルの本があります。これらの本は、偏差値の高い学校に入ることが良いことという今の世のモデルにフィットしています。そして、我が子も、私も、一流校入れるかもしれないという気持ちにさせます。しかし、圧倒的大多数はそうなりません。そうならないから、この手の本として売れるのですから。そして、中途半端な学歴は非正規雇用に向かう。誤った価値観の再生産をしています。
家族仲良く、健康に毎日過ごせることの幸せを広げる本こそ、必要だと思っています。
東大に何人入れたかで評価されるような県の高校の場合、他の子どもはどうでもよくて東大に狙える子にフォーカスを絞る学校があると聞きます。そんな高校は家族仲良くの本は読ませないだろうな。
■ [お誘い]『学び合い』太田の会
12月26日に群馬県太田市で『学び合い』の会が開かれます。お誘いします。http://manabiai.g.hatena.ne.jp/nome2733/20151220
■ [大事なこと]敵
理論のない無能な「敵」と議論をするのは本当に非生産的です。その人と私の力関係で、黙るか騒ぐかは変わりますが、結局、感情的になるだけ。理論がある有能な「敵」と議論するのは実りが多い。互いに学びますし、両方の得になる落としどころを探れます。
が、残念ながら私の敵の圧倒的大多数は前者です。
一番良いのは距離を保ち、闘わないこと。そして、敵を倒すエネルギーを理解者を増やすエネルギーに費やす。
気をつけなければならないのは、どうでもいいと思っている中間層を無理解だという理由で敵に分類することです。これは絶対にすべきではありません。
■ [大事なこと]定義
私の本を読んでいる方でしたら、おなじみのことをここに書きます。
アクティブ・ラーニングの定義は平成24年8月28日に発表された「新たな未来を築くための大学教育の質的転換に向けて~生涯学び続け、主体的に考える力を育成する大学へ~(答申)」の用語集に書いてあります。
そこには『教員による一方向的な講義形式の教育とは異なり、学修者の能動的な学修への参加を取り入れた教授・学習法の総称。学修者が能動的に学修することによって、認知的、倫理的、社会的能力、教養、知識、経験を含めた汎用的能力の育成を図る。発見学習、問題解決学習、体験学習、調査学習等が含まれるが、教室内でのグループ・ディスカッション、ディベート、グループ・ワーク等も有効なアクティブ・ラーニングの方法である。』とあります。
これだけ長いと、人によって自分に都合の良い部分を選択して、アクティブ・ラーニングを解釈します。
何もやりたくない人、組織は「発見学習、問題解決学習、体験学習、調査学習等が含まれるが、教室内でのグループ・ディスカッション、ディベート、グループ・ワーク等も有効なアクティブ・ラーニングの方法である。」に着目します。
とにかく思いつく限りの方法を並べ立て、最後に「等」をつけます。そして、「教授・学習法の総称」と書いているのです。つまり、なんでもいいのです。だって、先ほど羅列した方法を拡大解釈したら、それをしていない教師はまずいないと思います。
しかし、文科省がこれだけ強調しているんだから、「いまのままでいいんです」ではないよなと思う人もいます。その人は「教員による一方向的な講義形式の教育とは異なり、学修者の能動的な学修への参加を取り入れた教授・学習法の総称。」に着目します。
しかし、総合的な学習の時間で起きたと同じ誤解をしている人が大部分だと思います。
教師と子どもの対話を増やせば「一方向ではない」と思うのですね。本当は子ども同士が協働的になるため、結果として一方向でなくなるのです。子どもと教師が協働的になる子とを意図しているわけではありません。
また、アクティブになるのは頭の中です。例えば、ジグソー法で頭の中がアクティブになるのは子どもではなく教師です。何故ならジグソー法にのるように教材を再構成するのは大変ですから。凝った方法では教師のアクティブ・ラーニングになってしまいます。
でも、以上で全て間違っているのは、大事なのは結果であり、方法ではないことを理解していない点です。その理由は、アクティブ・ラーニングを文科省発の改革だと思っており、今までのルールが成り立っていると誤解しているからです。
本当は、アクティブ・ラーニングは総務省や経済産業省発の改革であり、さらに言えば経済・産業界発の改革であり、さらに、さらに言えば少子高齢化している日本発の改革なのです。
少子高齢化する日本が生き残るには、今までの数倍、数十倍のパフォーマンスを出来る人材が必要で、それを養成するのがアクティブ・ラーニングの本体です。そう考えると「認知的、倫理的、社会的能力、教養、知識、経験を含めた汎用的能力の育成を図る。」が定義の本体です。
簡単に言えば、「指示待ちの人はいりません」、「仕事が出来ても嫌なやつはいりません」ということです。平成23年に経団連が発表した「社会人基礎力」を持った人材が欲しいということです。
そのあたりを分かっていない人が多すぎる。ルールが変わったのにもかかわらず、前のルールが生きていて、自分たちがメインプレーヤーだと思い込んでおり、アクティブ・ラーニングや高大接続プランをコントロールできると思い込んでいる。
文科省の奥の院で、また、都道府県の教育委員会で何が決まっても、決まらなくても、経済産業界が求める人材は変わりません。「我々の養成した子どもを就職させろ」と言っても通るわけありません。そして、政府全体は教育界でその様なことをしたときのために、派遣法や入管法を改定しています。可哀想なのは、社会で使い物にならない教育を受けて、社会に出される子ども達です。
アクティブ・ラーニングか否かを判断するポイントは、「認知的、倫理的、社会的能力、教養、知識、経験を含めた汎用的能力の育成を図る。」なのです。具体的には、二桁の足し算、漢字の書き取り、産業革命、速度・加速度の学習の最後に、「君たちは人として正しい姿だったか?」と問えるか否かです。
発見学習、問題解決学習、体験学習、調査学習、教室内でのグループ・ディスカッション、ディベート、グループ・ワークで、「君たちは人として正しい姿だったか?」と問えるならばアクティブ・ラーニングです。問えないならば、仮に課題の発見と解決に向けて主体的・協働的に学ぶ学習であってもアクティブ・ラーニングではありません。
追伸 大学入試センターが「絶対に無理」と主張し、今と限りなく似た制度にしようとするのは当然です。しかし、東京大学や京都大学等は粛々とやります。やらないとどうなるかを知っているからです。大学入試センターと違って他人事ではなく自分のことなのですから。
追伸2
大学入試センターが改革に慎重なのは当然です。試験で問題があったとき、矢面に立つのは中央教育審議会の委員ではなく、自分たちなのですから。そして、非難するのは公正より公平であることを重視している、一般の人達なのですから。つまり、この面では他人事ではなく自分のことなのですから。
■ [お誘い]群馬の会
1月30日に群馬で『学び合い』の会が開かれます。お誘いします。http://manabiai.g.hatena.ne.jp/take1_No12/20151214