■ [嬉しい]熟成
OBのクラスを久しぶりに見せてもらった。熟成されたワインのようだ。とにかく音が良い。良いクラスの『学び合い』は聞いていると安心して眠くなる。お昼も一緒に食べましたが、とても良い感じです。
■ [大事なこと]富
ピケティの著作がブレイクしていますね。発売直後から爆発的に広がっています。さて、何故これだけ売れるのか?それは旧時代の価値観にフィットしているからです。何故なら、我々の多くは旧時代の価値観から逃れられない。
彼の主張は、現状のシステムでは富は一部に集中してしまうということです。それを是正するには税制の改革が必要だ。ま、簡単に言えばそうなります。が、実現するとはちょっと思えません。でも、別な解消の方法があると思うのです。
例えばです。富豪社会ではポケモンカードがもてはやされたとします。そして、ビルゲイツは2億枚のポケモンカードをもっています。今後、金持ちと一般人の保有するポケモンカードの枚数の差は広がる。というデータが明らかになったとします。さて、これを知ってどう思いますか?仮にそれが本当だったら「バカじゃない?」と一笑に付されるでしょう。何故、ピケティの本がもてはやされ、上記の話が馬鹿馬鹿しいか、それは我々がお金には価値があると思い、ポケモンカードには価値がないと思っているからです。
そこで次に考えて下さい。あなたにとって幸せになれる金額はいくらですか?ベルサイユ宮殿並みの家を持ってもしょうがないですよね。数十万のワインを飲んでもそんなに美味しいとは思いませんよね。さて、いくらでしょうか?
そしてあなたにとっての幸せの条件は何でしょうか?
私の住んでいる上越市には長者番付に常に名を連ねるお医者様がいます。我が家もお世話になっている方です。でも、その先生のようになりたいと思ったことはありません。何故なら、その先生を求めている患者は山のようにいて、そのため休みが取れないのです。患者のために自己犠牲をし続けている方です。私にはなれません。
あなたにとっての幸せの条件は何でしょうか?
もし、我々全員が一人ずつ個性的な幸せの次元を持ったとします。そして、一人一人から見たら富豪のお金はポケモンカードのように見えたとします。さて、富豪は富を蓄財し続けるでしょうか?むしろ、それを社会的に還元することによって得られる感謝や尊敬という富に気づくかもしれません。
旧時代の支配層は、己の得手の富を万人の富だと思わせ、それによって支配しようと強います。我々はそこから逃れ、自らの富を創造すべきなのです。支配者たらんとしているのは富豪ばかりではありません。他ならぬ教師もそうです。「これは試験に出るぞ」、「内申書に影響するぞ」で子どもをコントロールしていないでしょうか?でも、高学歴が万人にとって本当にあわせなのでしょうか?
我々は様々な子どもを教えます。勉強が出来る、運動が出来る、という単純な次元で幸せをはかれると思わせれば、不幸な子どもを生み出します。例えば肢体不自由の子どもにかけっこが早いことは良いことだと思わせたならば、出口はありません。
私はピケティよりもトフラーの富の未来をお勧めします。
■ [大事なこと]反転授業
反転授業(少なくともいまやられている形態)は典型的な旧時代の考え方で新時代のツールを使おうとしているものです。一歩前進ですが、どこまで行っても旧時代のままです。
旧時代の特徴は、「規格化」「専門化」「同時化」「集中化」「極大化」「中央集権化」です。反転授業は、まさにそうです。
それに対して、新時代の特徴は、上記とは真逆の「個性化」、「総合化」、「非同時化」、「分散化」、「適正規模化」、「地方分権化」です。そして本来ICTは上記を実現するための技術です。
例えば、何故家で視聴した様々な教材をメールやチャットやスカイプで子どもたちが議論することを想定していないのでしょうか?また、教室で何か分からなくなったとき、教材を見ることを想定していないのでしょうか?そんなことを考えれば、家と学校の違いは限りなく無くなるのに。どこまでいっても、「規格化」「専門化」「同時化」「集中化」「極大化」「中央集権化」でコントロールしたがっている。
「個性化」、「総合化」、「非同時化」、「分散化」、「適正規模化」、「地方分権化」とは何でしょうか?それを平たい言葉で表現すれば、「みんなで、多様な方法を、柔軟に、使い続けて課題を解決する」ということです。
旧時代の「規格化」「専門化」「同時化」「集中化」「極大化」「中央集権化」は一人一人の生産性が低く、一人一人が主張をしない非民主的な社会にはフィットします。しかし、一人一人の生産性が高まり、民主的な社会にはフィットしません。
三十年前、私が学生時代CAIやCMIがもてはやされ、各学校にコンピュータ室が入りました。国は内需拡大の観点から、コンピュータを学校に導入しました。結局、お飾りにしかなりませんでした。学生時代にその栄華盛衰(数百、数千万円がゴミになる過程)を見ながら滑稽に思っていましたが、何故、成功しなかったかは分かりませんでした。今は分かります。
革新的な技術は、それを必要とする新社会と一対になっているのです。社会を理解せず、ツールだけを使おうとすれば無理に決まっています。