■ [大事なこと]専門
各教師は、なんらかの専門を背景とした授業をしています。
そのような専門を教えて「これで良いのか?」という疑問を持つべきだと思います。
政府はSSH、SGHを通して専門家を育成しようとしています。
しかし、そのような人材の中で生き残るのはどれほどでしょうか?
本当のトップのコンマ数パーセントの人材は生き残るでしょうが、大部分はAIに置き換わられると思います。
地方大学の理学部の研究は、コンマ数パーセントの人材の指示の基、AIやロボットに置き換えられるでしょう。
語学なんてまさにそうですね。
我々教師の目的は目の前の子どもの一生涯の幸せです。
では、何が出来るか?
それを理解するには、現在がどんな時代であるかを理解しましょう。(トフラーの第三の波をご覧下さい)
アルビン・トフラーによれば、旧時代の特徴は、「規格化」「専門化」「同時化」「集中化」「極大化」「中央集権化」です。それに対して、新時代の特徴は、上記とは真逆の「個性化」、「総合化」、「非同時化」、「分散化」、「適正規模化」、「地方分権化」です。
昔は、みんなが規格化された望みを持っていました。
その時代には、専門家が分業して製品(物的なものとは限らず情報も)を生産することが出来ました。
ところが、一人一人が多様な望みを持つ段階になると、統制された分業では不可能で、
そのために、我々の仕事は、「非同時化」、「分散化」、「適正規模化」となります。
一人一人に求められる能力は専門能力ではなく、総合能力となります。
従って、コンマ数パーセントの人材以外の教育(つまり、東京大学の教育でも、大部分の学生に対する教育)は専門から総合にシフトしなければならないと思っています。
具体的には
一部の人材は、様々な領域の能力を持つべきなのです。
例えば、生物学と文学とか、社会学と服飾とかです。
あることを専門とする人が他領域の人と専門的な話しを出来るような人材が必要です。
そのような人が、イノベーションを起こすと思います。
そして、大部分の人は、懇意な顧客という「人」に対する知識・経験を活かした人材になればいいと思っています。
そのような人は、教科によらず、教科学習で共に学ぶ経験が大事です。
人には得手不得手があります。様々な状況で上記を学べばいいと思います。
ということで『学び合い』になると思います。