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2017-06-18

[]講演 16:43 講演 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 講演 - 西川純のメモ 講演 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 不特定多数の人とつきあっていると、嫌な思いをすることが少なくありません。例えば、講演もそうです。

 

事例

 旅費だけで私を呼ぼうとしたところがありました。そこで、「旅費出しますからおいでいただけますか?」と申し出をしました。その返答は「とんでもない、忙しいから行けません」と胸を張って返答がありました。

 この方は、自分がどんな返答をしたかを理解していない。その人は「私(西川)が暇だ」と言っているのです。その人は校長でした。

 

事例

 ある方から講演の依頼が来ました。お受けし、予約を入れました。それから数ヶ月たっても連絡がありません。そこで電話を学校にかけたところ、「あ、それはなくなりました」とのこと。だったら無くなった時点で連絡すべきです。その人はある県のセンターの指導主事を経験された方です。呆れて二の句が継げませんでした。

 

事例

 ある人から講演会を頼まれました。「講演料は出せませんが、いいホテルを予約しました」とのこと。講演の後、夜遅くまで飲み会につきあわされてホテルに入ったのは夜の11時、翌日の予定が合ったので朝6時に出発です。つまり、その高級ホテルの何も味合わずにです。その方には、私の翌日の予定は伝えたのですが。相手の立場にたった考え方をしません。

 

事例

 ある懇意な指導主事の方から講演会を頼まれました。その方によればその学校の校長は『学び合い』を推進するつもりだとのこと。前日に懇親会に呼ばれてビックリしたのですが、そこに参加した人の多くが「私」を知りませんでした。そして、遠くの方からその学校の校長が「いいんだよ、(西川の話は)適当に聞けば」とその学校の先生に言う酔っ払った声が聞こえます。怒り心頭です。翌日は飛び込み授業をしました。子どもには罪は無い。心を込めて授業をしました。最後に泣きました。理由は、こんな校長の学校にいる子どもが可哀想だったからです。授業を終わった瞬間にその学校を出ました。あわてて講演料を渡そうとする研究主任に、「いや、とてもいい経験をさせていただいたので結構です」といって受け取らず、学校を出ました。本心は、そんな不浄な金に触れたくなかったからです。その事を知って、私に講演会を頼んだ方は平謝りです。その方には、「今後は軽い気持ちで依頼できないような金額を設定します」と申し上げました。

 

 書き出したらきりが無い。

 で、基準を設けました。

http://goo.gl/mkZf6O

 それ以来、嫌な思いはもの凄く少なくなりました。残念ながら今でも嫌な思いをするのは、上越教育大学に勤務している関係で基準を求められない新潟県での講演であります(もちろん、一部ですよ)。つまり、金額を出すところで嫌な思いをすることは本当に殆どありません。(例外が一つだけです。二人のパネリストで発表する会があったのですが、一方の人が全体の9割時間をまくし立てていたため、殆ど喋れなかった事例です。この場合は、主催者の問題ではなく、相手が無神経であることが原因ですが。ま、そんな無神経な人を呼んだ点に瑕疵がありますが。)

 「学校・教育委員会は金がない」と言います。黙って承りますが、心の中で笑います。私も教師だった、そんなことはないことはよく知っています。事実、先の基準で私は講演をし続けています。(つまり、出してくれているのです)ようは「金はない」という言葉の正確な意味は、「あなたにそれだけの金を出すつもりはない」、「あなたをよぶために金を用意する智恵と手間と準備をするつもりはない」ということなのです。

追伸 感謝はモノや金ではない、心で返すもの。という人がいます。

これも笑えます。感謝の心はモノや金に現れます。何故なら、感謝の気持ちを心で返すことが大変だからです。感謝を心で返すことがどれほど大変かを知らない人が「感謝はモノや金ではない、心で返すもの。」と軽く言うのでしょう。ちなみに、今は亡き根本先生、戸北先生にはものではなく心で返したという自負があります。どれほど尽くしたか。逆に、水落さん、桐生さんは、心で返すことがどれほど大変かを日々感じていると思います(ふぉふぉふぉ)。

[]貧乏人の勝利 11:03 貧乏人の勝利 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 貧乏人の勝利 - 西川純のメモ 貧乏人の勝利 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 私の大好きなSFに「断絶の航海」(ジェイムズ.P.ホーガン)というSFがあります。内容を簡単に説明します。

 地球が壊滅的な打撃を受けた第三次世界大戦から復興した2040年に、アルファ・ケンタウリから通信が入った。内容は戦争直前に出発した移民船が植民に成功したという知らせです。早速、地球からその星に使節団が出発しました。到着すると、使節団はとまどってしまいます。何故かというと、交渉の相手となるべき中央政府がありません。それどころか、組織だった行政組織が何もありません。あるのは、町内会に毛が生えた程度の組織の集合体です。また、「お金」という概念がありません。当然、貧富の差はないし、窃盗等の犯罪もありません。強いて、「お金」に対応するものを探すと「尊敬」というものがあたります。

 このような社会が成立した理由は二つあります。第一に、移民団は受精卵レベルの子どもたちだけだったんです。そして、その子どもたちは、移民船につんであったロボットに育てられました。そのため、政治的偏見(その他、様々な因習・偏見)に汚染されることなく育ちました。さらに、ロボットが中心となって生産性の高い生産業を成立させました。その結果、個人が望むも以上の生産があるため、蓄財する必要もなく、「お金」の概念も生じませんでした。このような社会を見て、使節団の中にいる旧来型の政治家・金持ちは「無政府状態だ!」と怒り狂います。

 詳細は、小説に譲りますが、このSFは非常に面白いです。第一に、旧来型の政治家・金持ちが、いかに中央政府・金融システムが必要だと強調しても、移民達に無視される様子が滑稽です。さらに、使節団の人たちも、この星のシステムの良さに気づき、自分たちの社会の異常さに気づき、一人一人が移民社会に同化します。結局、極めて平和的に地球型のシステムは敗北します。

 最近、色々なところで「AI・ロボットの発達する未来において残る子ども達が就くべき職業は何か?」という「お題」を出して考えさせます。

 どこでも出るのは、「野球選手」、「お笑い芸人」、「小説家」というものがあります。

 そもそも、これらの職業で飯を食える人はごく僅かなので、子ども達が就くべき職業として想定することは出来ません。私はそれを述べた後、これらの職業が成り立たなくなるし、成り立たない世の中を生み出すべきだと述べます。たいていの人は、狐につままれたような顔になります。説明します。

 我々の考える富は希少性によって生み出されます。多くの人が望むけど、全ての人に行き渡るほどのものが無いとき、その価値は上がります。両者のギャップが大きければ大きいほど、その価値は上がります。しかし、それを求める人の中で本当にその価値が分かる人がどれほどいるでしょうか?1本数十万円のワインと千円のワインの分かる人がどれほどいるでしょうか?ルイヴィトンの本物のバックと精巧な偽物のバックの違いを分かる人がどれほどいるでしょうか?数十万円のダイヤとイミテーションのダイヤの違いを分かる人がどれほどいるでしょうか?

 おそらく殆どいない。

 でも、それを欲しがる人がいます。何故でしょうか?

 持っていること、飲んでいることを人に見せびらかし、その羨望を得たいためです。それが証拠に、それらを持っていること、飲んでいることを誰かに知らせられないとしたら、それを求める人は「グッと少なくなる」と思います。

 つまり、本当の価値は高級ワイン、ルイヴィトンのバック、ダイヤにあるのではなく、人の羨望にあるのです。

 でも、これって馬鹿馬鹿しいですよね。じゃあ、なんでこんなものがあるかと言えば、金持ち・権力者の作戦のように思います。

 昔から「起きて半畳、寝て一畳、米を食っても二合半」という言葉があります。金持ちだって、権力者だって、体の基本構造は同じです。収入が100倍だから100倍食べるわけにはいきません。でも、それではありあまる収入のはけ口がない。だから「羨望」を得ようと考えたのです。

 もし、庶民が高級ワイン、ルイヴィトン、ダイヤに興味を持っていないとします。例えば、世の中には羊の脳みそを食べる人がいます。でも、それを食べたいと思う日本人は多くないと思います。そういう食べ物が世の中にあることは認めても、それに高い金を出そうと思わないと思います。そういうものは高くなりません。

 私の知っている小さい印刷所の旦那さんは石が趣味です。河原を歩いていて石を見つけ、それが富士山に似ている、馬に似ていると見立てるのです。それを見せている旦那さんはニコニコしていますが、私はなんの興味もありません。しかし、無料で楽しめる旦那さんをみてニコニコ出来ます。

 私の数少ない趣味はブックオフに行って100円コーナーで興味のある本を漁ることです。本をじっくり読む暇も無いので、まあ、蒐集といっていいでしょう。私が見つけて大喜びする本を見て、羨望する人はいないと思います。そう、いないから100円で手に入るのです。

 私や印刷屋の旦那さんのように、人から羨望されないものを持っていることを喜びとする人がもっと増えたらどうでしょうか?まずは、庶民は自分が持てもしないものを羨望することがなくなります。でも、金持ちや権力者は不満ですね。羨望の対象とならないのですから。彼らはありあまる収入をどう使ったらいいでしょうか?

 それは周りの人のために使うしかないように思います。それによって「尊敬」をえるのです。まあ、そもそもそのような時代になったら金で表される価値が意味を持たないのですから、その人の特殊能力を周りの人に使うのです。

 ということで、ピケティが予言した富の格差は、アルファ・ケンタウリと同様になくなってしまうのです。

 さて、「野球選手」、「お笑い芸人」、「小説家」の話しに、やっと進めます。

 オリンピックの選手の中で、それで本当に飯を食える人は何%でしょうか?そして、その中で豊かに生活できる人はどれほどでしょうか?かなり少ないと思います。では、何故、野球選手は今後の社会で残る職業だと思われるのでしょうか?それは、野球を好きな人が「偏在」しているからです。偏在すると価値が高まります。金持ちの搾取が生まれます。

 アルビン・トフラーによれば、旧時代の特徴は、「規格化」「専門化」「同時化」「集中化」「極大化」「中央集権化」です。それに対して、新時代の特徴は、上記とは真逆の「個性化」、「総合化」、「非同時化」、「分散化」、「適正規模化」、「地方分権化」です。

 旧時代はテレビという「規格化」「専門化」「同時化」「集中化」「極大化」「中央集権化」したメディアによって掌握されていました。結果、キー局がある東京の巨人に人気が集中しました。ところがインターネットによって、様々なチームの試合が見られるようになりました。サッカーが人気を得たと同様に、今後様々なスポーツを見たがる人が増えます。結果として分散化します。お笑い芸人だって同じです。今まではテレビしかなければ特定の人しか目にしない。しかし、インターネットによってその呪縛から逃れます。それは小説だってそうです。

 今後はお金を取って見せるのではなく、個人の趣味での試合をネットに公開し、それを喜んでもらって嬉しがるというスポーツが増えるのです。芸能もそうです。小説もそうです。ちなみに、この文章自体、三千文字で小一時間かけた文章ですが、私は一文ももらっていません。しかし、喜んで公開しています。

 私が得ているのは、広い意味での、尊敬と共感です。