■ [大事なこと]真実

ゼミに入ってある程度『学び合い』が分かったゼミ生に毎年はなすことです。それは「真実」なんて無いということです。ある現象を記述するとき、全てを記述できません。だから、ある理論に基づいて記述します。従って、その利用に基づく結果が出るのです。これを「観察の理論負荷性」と言います。
たいていの人は、こんなことを知りませんから真理があると考えています。しかし、研究の最先端を走っている人だったら、一つの見方に過ぎないことを知っています。
それをもの凄く分かりやすく表現した映画に「離婚・男の場合 離婚・女の場合」があります。全く同じ現象を男の立場で描いた映画が前編で、同じ場面を女の立場で描いたのが後編です。全く同じ事実で組み立てられているのに、見事に違うのです。どちらも本当ではなく、どちらも嘘ではないのです。
ですので、ゼミでいざこざがあっても、ゼミ生は私に言いません。
言われたとしたら、「それは私に言うべきこと?」と言います。
私が言うのは「当事者が全員そろった場面だったら、私は何かを言える。それ以外は、管理者の立場では何も言えない」と言います。『学び合い』のセオリーが何であるかを知っているゼミ生は、そう言われれば「おりあい」をつけます。
私の記憶する限り、『学び合い』を理解してから、以上のルールを守らなかったのは一回だけです。それは暴力に近い暴言があったときです。その場合は、セオリーを無視して問題の解決に動きました。でも、セオリー通りに、解決しません。
たいていの場合は、関わらない、言わない、先送りにして時間を過ごす。
■ [大事なこと]陶冶価値

大学生も高校生も青春を謳歌しています。しかし、青春は永遠には続きません。結局は社会に出なければなりません。直前になってあたふたするのではなく、自分の進路をできるだけ早くから考えるべきです。そして、そのなりたい自分をイメージし、自分の今できることをすべきです。それは高校1年から、大学1年からです。それ無しで、高校1年、2年、大学1年、2年を過ごすのが普通です。
ところが社会が変わってきています。社会は即戦力を求めています。即戦力の無い生徒・学生は正規採用されません。これが私の若い頃との違いです。だったら、早い時期に、この時代の変化を子ども達に理解し、自分のキャリアイメージを明確に持ち、それに向かって出来ることを「今」すべきです。
さて、上記のことをどう思うでしょうか?
おそらく、大方の教師は反対しないと思います。それを確認した上で、下を読んで下さい。
私の息子は高校に入ったら運動部に入りたがっています。運動部で色々な経験をして成長したいと思っています。ところが、私はそれに反対です。理由はキャリアに繋がらないからです。
卒業した後に就職するとき、大学に進学するとき、大学を卒業して就職するとき、企業や大学はその時間をどのように過ごしたかを聞きます。それも一般的な意味ではなく、その企業、その大学のミッションに照らして問われます。さて、運動部の経験が大学のアドミッションポリシーに対して、一対一対応出来るように説明できる生徒、学生がどれだけいるでしょうか?企業の実務に一対一対応出来るように説明できる生徒、学生がどれだけいるでしょうか?
私は高校時代、大学時代を受験に費やせとは申しません。NPOやボランティア体験、留学体験、キャリアをイメージした読書や経験ならばOKなのです。ただ、運動部等で説明することはかなり困難です。だから、体育系学部出身者の就職が大変になったのです。
教師同士の会話で成り立つ理屈ではなく、外部に説明できる即戦力が必要なのです。
さて、後半の部分に関して反発を感じる方は少なくないと思います。
私は前半と後半の整合性がないとしたら、それは問題だと思うのです。
そして、そのままでは部活は衰退するか、部活を頑張った人が非正規になる危険性があります。ようは部活の意味を理解している人は、即戦力のレベルでの説明が出来なければならないのです。それも、身内で成り立つ理屈ではなく、です。
憂慮しているので、あえて書きます。書かない方がいいと思っているのですが。
■ [大事なこと]今後の受験産業

息子の受験勉強をサポートし、今後の動向を考えました。そして、「私」が受験産業に求めるサービスは何かを考えました。
まず、勉強を教えてもらうことはあまり期待していません。当人が受かる気になりさえすれば市販の問題集と参考書で十分なように思います。ネットに溢れる動画も良いですが、学校の友達に聞くことが有効でしょう。
従って、今、受験産業がメインにしているサービスはあまり必要としていません。じゃあ何が必要かと言えば、息子の相談相手です。
息子はヤマハのエレクトーン教室に行きますが、そこで講師の方に受験のことを相談します。まあ、愚痴を聞いてもらうというのが正確なところです。でも、教室の後の息子は晴れ晴れとしています。
もし、その講師の方が受験産業のオーソリティに繋がっていて、各大学の受験情報を調べられる状態にいたら、もの凄くありがたいです。週1時間、そんな専門的なアドバイスを、人間的な関係を結んだ方と出来ればいいな~っと思います。
もし、その方が息子の志望校の学生さんだったら、学生生活のことやその学部の研究室の特徴なんかも教えてもらえたら、もの凄くありがたい。
人工知能、ネット、ロボットに置き換えられない能力は二つだと思います。第一は、ビックデータで導かれない飛躍的な発想です。これは天才の範疇です。もう一つは、人と人とのつながり、信頼関係を構築することのように思います。
考えてみれば、小中高の教師も医者も、そのあたりの能力で生き残るのではないかなと思います。
■ [大事なこと]評価

今の枠組みの人にアクティブ・ラーニングで育つ能力の評価は絶対に出来ません。十中八九、いや、十中十は模範解答をつけた評価問題をつくろうとします。そもそもアクティブ・ラーニングは答えの無い問題に答えを生み出す能力を育てようとしています。それも「認知的、倫理的、社会的能力、教養、知識、経験を含めた汎用的能力」なのですから、ペーパーテストで測れるわけありません。結局、実際の仕事をやらせるしかありません。
じゃあ、『学び合い』はどうするか?
古い枠組みの人のつくる問題を全員が解けるようになるという、「認知的、倫理的、社会的能力、教養、知識、経験を含めた汎用的能力」が必要な仕事をさせるのです。それによって、古い枠組みの人のつくる問題の点数の分布によって評価できます。即ちテストの分布によって。これによって、古い枠組みの人のつくる問題の点数もクリアーし、社会で求められる社会人基礎力も育成できます。
ま、発想の転換が必要なのです。「一点刻みの公平」を否定されているのに、一点刻みに出来るテストをつくろうとする。そして、協働的、主体的を直接はかろうとする。どだい無理なのに。そんなのを評価すれば、協働的な「ふり」をしますし、主体的な「ふり」をします。そして、「ふり」と本当を見分けられない。
■ [大事なこと]武装

私は暇があると、中央教育審議会の答申を読みます。それは教員養成系大学・学部の生き残りに直結しています。(ま、そんな人が少ないですが。だから、学内政治での勝率が高い)
ある若い研究者がいます。『学び合い』を研究している人です。その人から論文を読んで欲しいと言われ読みました。論文のタイトルに「アクティブ・ラーニング」を入れるように勧めました。
大学人は大学外の審査を受けることがあります。学内の審査も、外部の審査に準じた形でやります。(そうじゃないと外部審査でひっくり返ると大変です)
2種類あります。一方はアカデミズムの審査です。これは博士課程、修士課程の担当になるために必要で、基本的に日本学術団体に登録した学会の査読を通った学術論文の多寡で研究指導能力の有無が評価されます。審査委員は研究者です。
もう一方は、学部の科目担当、及び、教職大学院の担当の評価です。これは研究指導ではなく、授業担当のみの審査です。これは文部科学省の事務方が外形的に評価します。その評価のポイントは色々ありますが、決定的なのはペーパーになっているかです。だから、芸術作品や競技歴は評価になりません。そして、その業績が授業内容に対応するかです。ただし、必ずしも専門家で無い人が評価するので外形的な評価になります。具体的にはタイトルにその科目の名前が一致しているか否かです。
今後、教員養成系大学、学部の修士課程が教職大学院に移行した場合、後者のみが重要になってきます。
以下を読めば、今後、どんな科目担当が必要になるかが分かります。
アクティブ・ラーニング、ICT、道徳などがありますね。これをタイトルに含んだ業績がある人は、商品価値が高まります。ちなみに、私は全て持っています。ちなみに、読めば、どの業績の商品価値が下がるかも分かります。(それは書きません)
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo0/toushin/1365665.htm
■ [大事なこと]生き残るとこ

フェイスブックの山内太郎さんの記事を文末につけます。
ローカルにこそ活路があるのに、全日本的な学会で勝負した人は、ローカルの価値が分からない。それは制度的(大学設置制度)なものから発しています。だから、なかなか変わらない。だから、そこが分かるところは比較的簡単に勝てます。ライバルが少ないから。そして地方都市だったら、ライバルは皆無ですから。勝てっこない大都市の大学と勝負しても無理なのに。
上越教育大学の教職大学院は、他大学の教職大学院の数倍の定員です。ところが、県庁所在地の大学でも定員充足が難しいのに、定員充足しています。それは、自分たちの武器は「何か」を知っているからです。
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「日本文学、英語、歴史といった、人文系しかない小規模私大は、どうしたら生き残れるのか」と尋ねられ、私が成功例として紹介しているのは、以下の4大学。
共愛学園前橋国際大学
http://tyamauch.exblog.jp/18029136/
http://tyamauch.exblog.jp/17244900/
梅光学院大学
http://tyamauch.exblog.jp/24517846/
大阪女学院大学
http://tyamauch.exblog.jp/23675353
大手前大学
http://tyamauch.exblog.jp/23408484/
前橋と梅光は、「地元の優秀な高校生が入学したくなる魅力づくり」。大阪女学院と大手前は、「都市部で他人と違う良いものを持っている生徒に訴える」と、それぞれ、市場(マーケット)に合わせた別の戦略を取っている。
では、これらの大学と同じような立場にありながら、苦境にある大学は、何が違うのか。地方の場合は、「本来は地元ニーズがあるはずなのに、偏差値が低く特徴もないため、高校生が県外流出」。都市部の場合は、「特徴が無いので、上位大学に流れる」。両者に共通しているのは、「何がダメなのか分かっていない(少子化のせいにする)」「中途半端に伝統校で、20年前から何の手も打っていない」など。気が付いて変われる大学は少数であり、そうでない大学が選ばれないのは仕方がないだろう。