■ [大事なこと]熱き心と冷静な頭

教師には熱き心と冷静な頭が必要です。熱き心がなければ、子どもたちは動きません。冷静な頭がなければ正しく導けません。では、「熱き心があるが、冷静な頭のない教師」と「熱き心はないが、冷静な頭がある教師」のどちらの方が「まし」でしょうか?
私は「熱き心はないが、冷静な頭のある教師」のほうがましだと思います。何故なら、熱き心がなければ子ども達を動かせない。だから、実害がないからです。ところが熱き心があれば子ども達を動かせる。だから、導く方向が正しくなければ多くの子どもが誤って導かれます。
司馬遼太郎の描く乃木希典が典型的な例です。203高地で突撃命令を繰り返し多くの将兵を死に追いやった。だから、熱き心のある人には冷静な頭を持って欲しいと願っています。私のような失敗をしないように。
http://manabiai.g.hatena.ne.jp/jun24kawa/20050418/1172704819
■ [大事なこと]人事

国立の教員養成系大学、学部の人事の切迫さを分かりやすく説明します。ただし、大まかな近似ですので、その点はご理解下さい。
国立の教員養成系大学・学部の収入はほぼ全て国からの運営費交付金によって成り立っています。そして、その殆どが人件費です。この運営費交付金は十年以上前から毎年1%削減されています。つまり、1割以上削減されているのです。従って、スタッフを1割削減しないと割に合いません。
ところが全教科の修士課程の大学院を建てるためには76人のスタッフが最低限必要です。ところが総合大学、特に、医学部のある総合大学の場合は、学内からの圧力でギリギリの人数まで抑えられています。そこに運営費交付金が1割削減です。本当だったら8人ぐらい削減すべきところが出来ません。それを補填するために、今まで研究費だったところを削減し、それを補填するしかありません。大学の教授の研究費はいくらぐらいだと思いますか?現在、年間10万円程度の大学が少なくありません。その原因は上記の通りです。
最近、78人の縛りを外しましたが、生首は切れません。従って定年退職の後を補充しないという方法しかない大学が多いのです。
もともと大学院大学ですのでスタッフの数が多いのです。私が就職した三十年前には180人のスタッフがいました。が、スタートが76人の大学と違って、色々な工夫の余地があります。180人だったスタッフが現在160人に減りましたが、それでも160人なのです。
それだからこそ、教職大学院の立ち上げも、多くの大学は既存修士の横滑りで発足したのに対して、教職大学院用のスタッフを多数採用できたのも、上記の理由です。そして、開設したから教職大学院のスタッフは1.5倍になっています。それも横滑りではなくでです。
どう考えても、現状の大学は多すぎます。結局、少なくなるでしょう。国立大学の場合も、おそらく文科省の奥の院で雲上人が色々と計画をしているはずです(していないならば怖い)。各都道府県にある大学や学部を削減しますが、結果によって評価します。予算を絞っています。各大学は我慢比べをしているのです。
多くの教員養成系学部は76人を出発点としての我慢比べです。上越教育大学は160人を出発点とした我慢くらべです。状況が違うでしょ?
文科省は大学をジョブ型大学に移行しようとしています。我慢比べをするならば、いち早く移行した方がいいのに、と思っています。ま、私の退職後の話しだろうと思いますが。
新潟大学と上越大学での人事の動きは意味合いがだいぶ違うんだけどな~。ま、よく知らないと分からないのだろう。凍結とは一律に抑制すること。守りの人事抑制と攻めの人事抑制はだいぶ違う。人事抑制だったら法人化した時点で既にはじまっているのに。
http://www.asahi.com/articles/ASJ245D7LJ24UOHB014.html
追伸 ちなみに、私一人の研究費で、年間10万円の研究費の大学だったら、複数のコース分の研究費に対応します。外部資金を入れたら、学部と比肩できます。上越教育大学の研究環境はまだ「まし」です。