■ [大事なこと]仮想会話

20年前の私(Aとします)と今の私(Bとします)の会話を想像しました。
きっとAが色々と説明すると、Bは「その教材や指導法が有効である子どもがいると思うよ。でも、そうでない子はいる。おそらく、かなりの割合。そして、あなたが見捨ててしまった子どもは100%そうだよ」と言うでしょう。そして、BはAに「そもそも、それを学ぶ意味は何?それをハッキリと言えないでしょ。それは教科内容で説明しようとしているから。その教科を学ばなくてもいい子どもがいることは分かっているよね。じゃあ、その子たちに何を語る?一度、教科内容を捨てるべきだよ」と言うでしょう。
その時の、私をシミュレーションしました。その結果、驚くほど反発はありません。
学会で人工知能の教材プログラムを知ったとき、クラッキーの「記憶のしくみ」を図書館で何気なく読んだときを思い出します。全身にアドレナリンが満ちあふれ、それから3ヶ月ぐらいは関連する本を読みあさりました。反発するより、ワクワクとしていました。
私は本質的にイノベーターです。理屈で理解します。研究者の中でも希な存在です。でも、だから今の私がいます。イノベーターは最初は学会で排斥されますが、うまくやると大勝ちできます。研究者の大多数は新たなことをするのではなく、今までやっていることの延長上のことをします。その人たちは、そこそこの業績しか上げられません。今後の教員養成系研究者にとって、それは死を意味しています。
ちょっと反省です。
なぜ、『学び合い』という大勝ちできるカードを、研究者の若手のイノベーターは知らないのだろう。と。
■ [う~ん]私の前に道はない

ふと、思います。
20年前の私が今の私を見たらどう思うだろう、と。
私だって、昔は違っていました。
暴走族に物理の授業を成立させた、笑いと涙の授業作りの腕を誇っていました。
人の十倍ぐらいの学術論文を書き、学会賞もいくつもいただきました。
でも、それの行き着く先がどの程度かも見極めた。
だから、今があります。
そして、今は年間に二十冊ぐらいの実践書を書くようになった。
その行き着く先はどこなのだろう。
学会賞をもらった研究者が実践書を山ほど書く。
それも実証的なデータに裏付けられた実践書。
少なくとも日本で初めての道。
だから、どうなるかは過去の例で想像できない。