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2016-01-08

[]ヨーグルト 21:33 ヨーグルト - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - ヨーグルト - 西川純のメモ ヨーグルト - 西川純のメモ のブックマークコメント

 息子の食後の締めは私の膝の上でヨーグルトを食べることです。いつまで膝の上にのってくれるだろうか。

[]博士課程 21:33 博士課程 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 博士課程 - 西川純のメモ 博士課程 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 教員養成学部が変わることは、実は日本の多くの学術に影響します。

 日本中の国立大学で全都道府県にみんなそろっている学部は教員養成系学部なのです。つまり、教員養成学部は理学部であり、文学部の役割を果たしています。

 日本には多くの博士課程の人材を輩出しています。残念ながら供給過剰な分野もあります。一番は、その博士課程の教員になることですが、そうであれば一人の教員が養成できる人材は一人だけになります。でも、それ以上の人材を供給しています。その人材はどこに行くか。教員養成系学部が大事な供給先です。

 それを前提として、今、日本の博士課程の多くは動いています。

 文科省が文系学部の廃止・縮小を打ち出したとき、日本中から反対の声が上がりました。

 それに対して、真意は教員養成系学部の縮小であると文科省が説明しました。そうしたら、気のせいですが、声が小さくなったように思います。

 でも、教員養成系学部が縮小するということは他学部の博士課程に大きな影響を与えるのです。

 教員養成系学部の大学院を維持する人数が減りました。ということは、採用がもの凄く減ることを意味します。

 それは先のメモに書きました。

 でも、もう一つあります。

 教員免許法の改定案が出ています。

 だれも、注目していません。

 でも、私はドキドキしています。

 大きなポイントは、教職科目と教科科目の垣根がなくなったのです。

 それが何を意味するか、教員養成系学部の教員も知らないし、ましてや他学部の教員も分かりません。

 学部科目を担当する際に教職科目を担当する場合は、教職に関係する業績を持つことを文科省に出す書類に書かねばならないのです。一方、教科科目の場合はそれが不必要です。学内がOKすればスルーなのです。学内の審査は大学院担当の審査であり、その審査は研究者がやります。だから、教科専門の業績があればOKです。

 さて、今後、教科専門の人にも教職科目の人と同じように教職の業績を求められたとします。さて、どうなるでしょうか?

 既に教員養成系学部の教員だったら学内の紀要で業績を上げることが出来ます。が、問題は新規採用者です。どう考えても、博士課程の学生が、教職に関する論文を書き、それなりのところに掲載されることは考えづらい。そして、実技系の専門の場合は実技の業績で大学院は審査を受けますが、学部担当は論文・書籍の業績審査を受けます。

 ということは、今のままの博士課程の養成方法では、採用されないことを意味します。

 ということを、教員養成系学部以外の博士課程の先生方は意識されているだろうか?

 と思います。

 若い研究者の卵を守るのは年長者のつとめです。

 ということで、情報提供です。

[]モデル 20:02 モデル - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - モデル - 西川純のメモ モデル - 西川純のメモ のブックマークコメント

 大企業と中小企業、どちらの方に就職するべきか?

 私の時代には迷う余地はなかった。

 しかし、今は違う。

 大企業が凋落することは珍しくなくなった。

 安定している大企業に勤め、その企業が安定していたとしても、リストラに遭う危険性はもの凄く高い。

 自分より偏差値が10以上高い人が失業し、生活保護に追い込まれる。

 自分より偏差値が10以上低い人がダブルインカムの安定した生活を謳歌している。

 いや、自分より200万円年収の高い人が孤独の中にあり、自分より200万円低い人が幸せな毎日を過ごす。

 どのようなところに勤めたらいいのだろうか?

 勤めた後に、どのようなキャリアアップをすればいいのだろうか?

 どんなライフスタイルだと幸せになれるのだろうか?

 偏差値や年収は分かりやすい指標だった。でも、それで予測は出来ない時代。

 親も教師も、その答えを知らない。

 その中で社会に飛び込む子どもが毎年生まれている。100万単位で。

 だから、少数でも昔のモデルが壊れていることを声高に言うべきだと思う。急がなければならない。

 その私が、旧モデルでの試験の問題を解かせるために息子の尻を叩いている。

 教員採用試験を受けた人ならば思ったはずです。「これって、絶対に教師になってから役に立たないことだ」と。

[]現状認識 20:02 現状認識 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 現状認識 - 西川純のメモ 現状認識 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 私は教科教育学の研究者です。関連するある学会から原稿依頼が来ました。

 若い研究者への思いを込めて書きました。が、ボツになりました。その学会のお求めになっていること自体は学術的には妥当だと思うのです。だから、そのままボツにしました。が、その学会自体の存立が危うい状態だと思っています。それ故に、新たに書く気にはなれませんでした。お世話になった学会には申し訳なかったのですが、お詫びして辞退しました。

 おそらく、私の人生で初めてだと思います。依頼された原稿を書かずに辞退したのは。

 ボツになった原稿をアップします。願わくば、若い研究者の目にとまればと思います。そして、生き残って次の時代に繋いで欲しい。

Ⅰ 教科教育学の誕生

 教科の名前を銘打った学会の設立年度を以下に示します。

日本国語教育学会   昭和29年

全国大学国語教育学会 昭和26年

日本社会科教育学会  昭和27年

全国社会科教育学会  昭和26年

数学教育学会     昭和34年

全国数学教育学会   平成6年

日本数学教育学会   大正8年

日本理科教育学会   昭和27年

日本音楽教育学会   昭和45年

日本美術教育学会   昭和26年

日本産業技術教育学会 昭和33年

日本家庭科教育学会  昭和33年

全国英語教育学会   昭和50年

 日本数学教育学会を例外とするならば、上記の学会は昭和20年代後半以降に生まれた学会ばかりです。特に、昭和20年代後半に一気に生まれました。

 戦前において現在の教科教育学は存在しませんでした。正しく教えれば、正しく学ぶという古典的な学習モデルにおいては、教科の背景とする学問のみが重視されていました。

 例えば尋常師範学校で講義される学科に136配当時間が配分されています。その中で「倫理」、「国語」、「漢文」、「英語」、「数学」、「簿記」、「地理歴史」、「博物」、「物理化学」、「農業手工」、「家事」、「習字図画」、「音楽」、「体育」が122配当時間なのに対して、「教育」は14配当時間に過ぎません。また、「教育」も教育原理、教育法、教育史と並んで各学科の教育法も含まれる程度でした。

 昭和24年に教育職員免許法が制定されました。その法律に教科の指導法が独立して設けられ、必修単位になりました。しかし、その時点で教科教育学の専門家は存在しませんでした。

 新制大学は旧組織の教員の中から選ばなければなりません。昭和二十年代の教科教育学担当者は「教育学研究者」、「教科の背景となる学問の研究者」、「学校現場の実践者」と出自も様々でした。

 その中で、教科の指導法を担当する様々な大学教師が学会を設立しました。それが昭和二十年代後半の学会設立ラッシュです。

 昭和49年に大学院設置基準が制定され、昭和50年代になって教員養成系の大学院が設置されました。それらの大学では、教科教育担当者が必ず二人は必要になったのです。

 長らく教科教育担当者の大学における地位は相対的に低いものでした。しかし、博士課程で教科教育学を専門とする研究者が生まれ、全国の教員養成系大学に赴任しました。学会を設立した研究者の夢である学問としての確立の時期です。

Ⅱ 大学院設置基準の改正

 教科教育学が法によって生まれ、法によって成長したならば、法によって衰退する危険性があります。

 平成26年11月7日に文部科学省高等教育局長より「大学院に専攻ごとに置くものとする教員の数について定める件の一部を改訂する告示について」という通知が全国の大学に送られました。

 それによれば、国語教育専攻、社会科教育専攻、数学教育専攻、理科教育専攻、音楽教育専攻、美術教育専攻、保健体育専攻、技術教育専攻、家政科教育専攻、英語教育専攻を一つにまとめたならば、15人の研究指導教員(いわゆる○合)と10人の研究指導補助教員(いわゆる合)で成立させられるようになりました。

 なお、教科教育学担当の研究指導教員と研究指導補助教員は必ず含まなければならない。つまり、十教科を合同する専攻の場合、十教科の研究指導教員及び研究指導補助教員が各1名以上含まなければならないので、5人の教科専門の教員のみで成立できることになったのです。

 現状は十教科で76人(42人の研究指導教員と34人の研究指導補助教員)の教員が必要だった大学院が25人で成立するようになったのです。

 そして「今後、国立の大学院での教員養成・研修機能を教職大学院が中心になって担うことを踏まえると、国立の修士課程において、10教科の教科に係わる専攻ないし専修を全て置くことはおおむね想定されなくなる。」と先の通知で明記しています。

Ⅲ 教職大学院への移行

 教員養成に関わる大学院教育は修士課程から教職大学院へ移行する方針は明確に出されています。教職大学院の設置基準には大学院設置基準のような教科ごとの縛りはありません。

 共通科目に関して、以下のような内容が規定されています。

教育課程の編成・実施に関する領域

(教科等の内容を学校における教育課程及び学校教育全体の中で俯瞰する内容)

(具体的内容例)

学習指導要領と教育課程の編成実施

個に応じた指導の充実

指導と評価の一体化、教育課程の自己点検・自己評価

総合的な学習の時間の全体計画の内容と取扱い(各教科・道徳・特別活動との関連、学年間や学校段階間の指導との関連への配慮を含む。)など

教科等の実践的な指導方法に関する領域

(子どもの確かな成長・発達と創造的な学力を保証する教科等の実践的指導力に関する内容)

(具体的内容例)

教科等の意義・目的(教科間の関連指導の工夫を含む。)

授業計画(学習指導案の作成)

教材研究(教材の収集・選択・分析、教材化の工夫など)

指導方法(授業構成・授業形態の工夫(少人数指導や習熟度別指導など、個に応じた指導等)を含む。)

指導と評価(テスト等の作成、評価の在り方)など

生徒指導、教育相談に関する領域

(子どもの社会的・情緒的発達についての理解を深め、子どもが教育領域の諸活動を通して発達課題の達成と社会的自立を図ることを促進するとともに、社会的・情緒的発達の課題や問題の把握と適切な対処のできる実践的指導力を修得する内容。)

(具体的内容例)

子ども理解の内容と方法(思春期等に見られる心身症、精神疾患等に関する知識を含む。)

子どもの社会的・情緒的発達を促す指導

教員と子ども、子ども相互の人間関係

子どもの健全育成の取組み

ガイダンスの機能と教育相談の充実

問題行動等に関する事例研究

学校における生徒指導体制

家庭、地域や関係機関との連携

子どもの進路発達を促す指導援助体制など

学級経営、学校経営に関する領域

(子どもに充実した学校・学級生活を保障する学校・学級経営とともに、その課題の分析と解決の方策に関する内容)

(具体的内容例)

学級経営の内容と果たす役割

学級経営と学校経営(学年経営案、学年会、学校行事など)

保護者と連携を図った学級経営

学校組織、校務分掌とその機能

校内研修の意義・形態・方法

開かれた学校づくり(家庭や地域社会との連携、学校間交流の推進、学校経営と学校評議員、情報公開と説明責任)

学級・学校経営と評価など

学校教育と教員の在り方に関する領域

(上記1から4までを総覧し、現在の社会における学校教育の位置付けを理解し、教員としての役割を考える。)

(具体的内容例)

学校と社会(社会における学校教育の位置付け、学校教育の役割、学校教育が抱える課題等の俯瞰)

(上記のような学校における)教員の社会的役割と社会的・職業的倫理

(上記のような社会、学校における)教員に必要なコミュニケーション論(対子ども、保護者、同僚、学校外(関係機関、広く社会))

 つまり、教科教育学の役割は5分の1なのです。さらに、教職大学院のスタッフの4割は実務家教員でなければなりません。多くの大学では、地元の教育委員会と連携した、学校現場の教諭との交流人事によって確保しています。つまり、研究者教員は6割以下なのです。

Ⅳ 若い教科教育学研究者へ

 本書は多くの若手研究者が手に取る本であると筆者は想定しています。そしてその若手研究者は、本節のタイトルである「新しい研究としての教科教育研究」から具体的な研究手法を読み取ろうとするでしょう。ところが、いきなり衝撃的な事実を突きつけられて戸惑っているであろうと思います。

 しかし、筆者は皆さんにこれから数十年間続くであろう血みどろの戦いの中で生き残り、諸先輩が生み出した教科教育学という学問の学灯を次の世代につないで欲しいと願います。

 ご存じの通り、国立大学は毎年1%の予算カットを十年以上求められています。どの大学も同じです。十八歳人口が減少することの影響をもろに受けている私立大学は深刻です。

 総合大学の中で多くのスタッフを抱える教員養成系学部の必要人数が変わったことを他学部が知ればどのようなことが起こるかは自明です。

 我々の世代は、誰が退職すれば自分が昇任するかを予想がつく時代です。ところが、スタッフ数が一人減れば5年ぐらい昇任が遅れ、二人減れば10年ぐらい昇任が遅れることは起こります。その結果、教授に昇任する平均年齢は、過去に比べて10歳以上伸びている大学は少なくありません。退職の年に教授に昇任するという事例は希ではなくなっています。

 そのことは大学院生も気づいていると思います。では、どうしたら良いでしょうか?

Ⅴ 汎教科教育学

 これからの時代、最も厳しいのは教科専門の教員です。生き残ろうとするならば、教科教育学しか活路はありません。もし、あなたの専門が、教科専門の教員が比較的たやすく移行できる研究テーマ(例えば○○の教材化)であるならば、ポスト争いでは厳しい戦いになるでしょう。

 もし、「あなた」を採用させたい、昇任させたいと周りを説得するならば、「あなた」しか担当できない研究テーマを持つべきです。特に、教科専門の教員が移行できにくい研究テーマです。

 私は複数教科を横断する研究をすべきだと思っています。

 教科を横断する教育の学会の学会発表を聞いている人の行動を観察すると、その発表がどの教科であるかに基づいています。たしかに、今までの大学教員の評価は特定の教科ごとのコース単位で行われていました。ところが、今後はそのような組織が無くなってしまうのです。

 中学校教員の採用においては、国語、数学の免許だけでは無く、美術、音楽、技術などの実技系免許を持つ人の採用率が高いのはよく知られたことです。これと同じことが大学でも起こる可能性があります。先に述べたように全領域の教員を揃えることはほぼ不可能になります。複数の領域の業績を持つことは有利です。その最初は自分が元々専門にしている教科と新たな教科の比較をする研究もあり得るでしょう。本学会や臨床教科教育学会のように汎教科教育学研究を研究として受け入れている学会もあります。

 筆者は理科コースの教員として大学人人生を始めました。今から約二十年前に学習臨床コースという教科横断のコースの立ち上げに参加しました。その最初に、国語が専門の現職教員をゼミ生として受け入れました。理科教育の院生指導を十年以上経験しましたが、正直に白状すれば、最初は不安でした。

 たしかに内容に関する指導は出来ません。しかし、研究手法はそのまま使えます。そして、他教科の院生と共に研究を進める中で汎教科教育学研究の可能性を感じました。一言で言えば、身内の中で話し合っている中では見いだせない、新たな視点を見いだすことが容易いのです。

Ⅵ 学校現場に評価される

 これからの時代、若い大学教員を評価するのは、その教員とは専門と違う教科の大学教員です。そして大学管理職です。自分の専門だけに通じる論理や言葉では自分自身の業績を説明できないのです。

 これからの時代、一人一人の教員は定員充足・集客力を求められます。我々教科教育学研究者のユーザーは学校現場の教師なのです。

昔から理論と実践の融合は大事だと言われていました。しかし、理論は研究者が担当し、実践は実務家教員や教育実習指導教諭が担当し、学生が両者を融合することを求められました。しかし、それは無理です。我々研究者が実践と往還し、融合した結果を学生に伝えなければなりません。そして、それを学校現場に発信する必要があります。

 大きな書店に行けば、教師用図書のコーナーは大きなスペースを取っています。しかし、その著者の9割以上は学校現場の実践者です。大学教員も多くは実務家教員です。研究者教員の本は殆どありません。

 私は複数の学会から賞をいただき、学会誌編集委員長をつとめ、現在は臨床教科教育学会の会長です。同時に、50冊以上の単著・編集の教師用図書を出しています。もし、多くの教科教育学研究者が学校現場に情報発信をしているならば、教科教育学の地位は盤石になると確信しています。

 なお、一つ付け加えたいと思います。先に述べたように、教職大学院は実務家教員を4割揃えなければなりません。実務家教員とは学校現場でおおむね二十年以上の教育経験があるものを指します。しかし、「教職大学院の教員組織編成等に関する留意事項について」(平成27年1月 文科省高等教育局)によれば、十分な研究業績がある場合は5年間の実務経験があれば実務家教員となることが出来るのです。つまり、実務経験のある研究者教員はそれを最大限に生かして欲しいと願います。

Ⅶ 最後に

 これからの教科教育学研究者は厳しい時代を生きなければなりません。しかし、是非、それに生き残って次の世代に教科教育学研究の学灯をつなげて欲しい。厳しい時代を経ることによって、我々の知らない「新しい研究としての教科教育研究」を皆さんが生み出すであろうと確信しております。

[]睡眠薬 07:02 睡眠薬 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 睡眠薬 - 西川純のメモ 睡眠薬 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 私の睡眠薬は、息子が生まれてからは息子の寝息。息子が生まれる前は家内の寝息。息子が独り立ちしてからは家内の寝息になるだろう。

 なんで、家族と一緒に寝ると安眠できるのだろう。

 だから、出張すると直ぐに帰りたくなる。