■ [大事なこと]軽重・順序
九九や漢字を教えるな、とは申しません。特別な支援を必要とする子ども同士、また、健常児といっしょに九九や漢字を学び合えるならば、それはOKです。でも、「いや、あの子はいっしょにやるのは無理です。」という特別支援担任がいたら、「だったら、あなたがマンツーマンで漢字や九九を教える前にやることがあるでしょ」と言いたいのです。
事の軽重、順序が違うのです。
■ [大事なこと]求められる特別支援教育(知的)
多くの特別支援担任(知的)はマンツーマンで九九や漢字を教えています。しかし、それが在学中に必要なので、就労後は必須ではありません(出来たら出来た方がいいですよ、もちろん)。それが出来ないことで苦労することは殆ど無いでしょう。
「もし、人とのコミュニケーション」が出来るなら。計算が出来なくとも、読めなくとも、身振り手振りでコミュニケーションが出来るならば、仕事は体で覚えることが出来ます。だから、特別支援の子どもを就労させている保護者も特別支援の子どもを就労させている企業・事業所も九九や漢字を重視していません。その代わりに「人とのコミュニケーション」が出来ることを重視しています。
じゃあ、どうしたらいいか?
学校に適応するための特別支援から社会に適応するための特別支援に転換するのです。そのためには教師が社会のひな形になるのです。具体的には、職場のようにグループで課題を解決する経験することを中心とすべきです。
企業・事業所、特別支援の子どもを就労させた保護者とのインタビューで確信しました。今の学校に適応させる特別支援は、特別支援担任が抱え込むように指導する特別支援は、無益、いや有害でありさえします。多くの人から非難されることを理解した上で、言わざるを得ません。
特別支援の子ども同士の『学び合い』、健常者との『学び合い』を定常化するしか救う道はありません。教材は何でもいいのです。だって、九九や漢字すら必須でないのですから。その子の不得意なことではなく、その子の得意なことをしましょう。
『学び合い』で「気になる子」のいるクラスがうまくいく!(学陽書房)をお読みください。
■ [大事なこと]義務教育の特別支援
公立の義務教育の強みは、物理的に近くに住む子どもが集まって学ぶことです。これによって未来のコミュニティを創っています。障害のあるこの多くは地元で生活すると思います。そして、障害があるとは分類されない、知的に問題が無く、教師とだけはコミュニケーションをとれる子どもは地元で生活すべきだと思います。
健常児を含めて、失業したときの世話をしてくれる人、生活保護の手続きを一緒に福祉事務所に行ってくれる人が近くに必要です。そして特別支援の子どもの場合は、各種の障害年金やグループホームの手続きを、親亡き後にしてくれる人が必要です。それも一人で抱えていたら大変です。続かない。多種多様な人によって構成される地元コミュニティの創成が急務です。
その子たちの幸せを確実に出来るのは義務教育における『学び合い』です。私は額面通りに子どもの生き死にを決めていると思っています。九九や漢字のレベルのことではありません。
『学び合い』で「気になる子」のいるクラスがうまくいく!(学陽書房)をお読みください。