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2017-09-14

[]お悩みに応えて 21:25 お悩みに応えて - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - お悩みに応えて - 西川純のメモ お悩みに応えて - 西川純のメモ のブックマークコメント

 『学び合い』を実践しはじめた方は不安になるのは当然です。その方々は典型的な悩みを持たれます。その殆どは私の本に書いてあります。非常にパターン化しており、数も限られていますから。しかし、本で読んでいたとしても、現実になると頭がいっぱいになってしまい、読んだことを忘れてしまいがちです。

 例えば、『学び合い』の初期の段階では、普段から関わる人同士で学び合います。

 何故、こんなことが起こるのでしょうか?

 意外な事実をお教えします。

 『学び合い』が上手くいっているクラスでも、まだ、初期段階であっても、8割近くは普段から関わる人同士で『学び合い』ます。両者の違いは、上手くいっているクラスでは2割(つまり5、6人程度)が普段から関わっていない人の所に行って学び合います。その2割の子どもがそのような行動をすれば、全員が学び合っているように見えるのです。これは、ビデオカメラで子どもたちの動線を分析しないと気づかないでしょう。

 でも、学校の忘年会を思い出してください。飲み会の前半は、殆どの人は座ったまんまで飲んでいませんか?後半になって座が崩れたら、気のあった人同士で話し込んでいませんか?そうです。それが人の本性です。でも、その中では全体を見回し、酒やつまみがなくなっていないか、一人ぽつんとしていないかを気づき、動く人がいます。その数は少数です。でも、そのような人が0人か、1人か、2人か、1割か、2割かで職場の雰囲気はがらっと変わります。

 そのような人は、そのような子どもは全体を見られます。そして、どうすべきかを知っています。教師に教えられなくてもです。

 では、何故、そのような子どもが少ないのでしょうか?

 そのように全体を見回して、すべきことをする方が「自分にとって得」であることを語っていないからです。何故、語っていないのでしょうか?それは、それが腑に落ちていないからです。何故、腑に落ちていないか?それは、子どもたちが大人になった社会がどのような社会であることを理解し、そのことと今日の授業を結びつけるところが弱いのです。では、どうすればいいか?

 それは何故『学び合い』を実践するかを、アクティブ・ラーニングをするとかしないとか、人間関係を創るとか創らないとか、学力を上げるとか上げないとかのレベルではなく、子ども達の生き死にに関わることを学ばなければなりません。そのような本は用意しています。それを基にして、自分の同級生をイメージして考えて欲しいのです。

 また、『学び合い』の初期段階には集団になじめない子どもがいます。そのような子どもがいると、その子は『学び合い』に合わないのではないか、と思います。当然です。

 しかし、違います。その子は『学び合い』に合わないのではなく、人社会に合わないのです。

 おそらく、人との関係を結ぶことが不得意でも人社会で生き残れるのは、数学や理論物理のノーベル賞級の天才のみです。

 現在の科学はビックサイエンスとなっています。金が必要ですし、チームが必要です。それを獲得できない人は業績を上げることは出来ません。逆に、それを持っているならば、天才でなくてもノーベル賞を獲得できます。

 ゴッホは天才です。しかし、生涯に売れた絵は殆ど無く、極貧の中にいました。その才能を世に知らしめられる人との出会いがなければ、才能は埋もれます。

 だったら、他の人なんて無理に決まっています。

 想像してください。

 『学び合い』に合わない子ども(具体的に知っている子どもをイメージしてください)が偏差値70ぐらいの大学に入ったとします。その子が大学を卒業して教師になったとします。そして、あなたの同僚になったとします。その教師はどんな状態になると思いますか?そんな教師、たまにいるでしょ?

 大学教員だって同じです。人付き合い出来ないならば、協同研究を出来ません。そんな人は業績を上げられないし、予算も獲得できません。人付き合いが出来ないならば、当然、学生指導は出来ません。小中高と違って、学生が教員を選ぶのです。指導学生0の人もいます。大学で昇任するためには、教授から「昇任させよう」と発言する人が必要です。でも、上記のような人に対して声を上げる教授がいますか?

 でも、公立の学校の教師ならいい。民間だったらどうですか?

 さて、その子が合わないのは『学び合い』ですか、人社会ですか?

 その子が人と関われるように教育する義務があるのはどこですか?

 終身雇用を前提としない就職先ではありません。

 学校です。

 今の学校は人社会のひな形ではありません。

 課題に悩む人もいます。当然です。

 でも、良い課題とは何でしょうか?

 深い課題。では、それが深いと判断できる学術的な根拠はありますか?研究者の一人として断言します。それを学会員の多くが共有している学会は1つもありません。結局、根拠「俺」なのです。

 では、良い課題とは何でしょうか?

 それは子ども達の幸せに繋がる課題です。深くなくて良いです。面白くなくて良いのです。2割の子どもが、その是非を分かれば良いのです。

 もちろん、『学び合い』が動き始めれば、何でも出来ます。が、初めは、良い課題ではなく、2割の子どもがハッキリと正誤が分かる課題なのです。