■ [大事なこと]信じることの効用
私は「公教育において一人も見捨てない(正確には、一人も見捨てないことを諦めない)ことは絶対である」と信じています。
私は「多様な人と折り合いを付けて自らの課題を解決することを学ぶことが圧倒的に重要である」と信じています。
私は「どんな優れた一人の教師よりも、有機的にネットワークを形成した子ども集団の方が有能である」と信じています。
つまり私は『学び合い』を信じています。
この『学び合い』が汎用的で強力なのは何故でしょうか?
それは教師が悩むことの殆どは、「一人も見捨てない」を心の中で諦めてしまっているからです。
パレードの法則のように、教師の悩みの八割は2割の子どもから生じます。そうじゃありませんか?あなたが心を痛めている「あの子」の数を数えてください。その子を何とかすべきなのに、何とかすることを諦めている。例えば、学力向上だって、その子がちょっとでも勉強する気になったら、クラスの平均点は驚異的に上がります。
さて、何故、心の中で諦めてしまったのでしょうか?
それは無理だからです。一人の子どもだったらばつきっきりになって対応すれば何とか出来たとしても、クラスには他の子もいます。そして「あの子」は一人ではありません。
じゃあ、『学び合い』で解決できる(少なくともましになる)のは何故でしょうか?
それは教師一人で抱え込んでも無理だと自覚しているからです。教師一人が抱え込むより、子どもたちと一緒にやったほうがいい。ということで、「どんな優れた一人の教師よりも、有機的にネットワークを形成した子ども集団の方が有能である」を信じています。
でも、これが機能するためには、相対的に能力の高い子が教師の視点で動かなければなりません。そのためには、その子ども達が納得させる理屈・理論がなければ成りません。
『学び合い』では「どんな優れた一人の教師よりも、有機的にネットワークを形成した子ども集団の方が有能である」を語り、短期的な利益にとっても「まし」であることを説明できます。そして、「多様な人と折り合いを付けて自らの課題を解決することを学ぶことが圧倒的に重要である」によって中長期に自分にとって得であることを説明できます。その結果として、「公教育において一人も見捨てない(正確には、一人も見捨てないことを諦めない)ことは絶対である」を求められるのです。
これらは本人が信じていなければ、相手に伝えられません。でも、私は心の底から信じています。だから出来ます。
でも、これから始める人は信じ切れていません。でも、現状の教育に限界を感じ、なんとかしようとする願いが本当であるならば、『学び合い』にその可能性を見いだしたいと率直に語ればいいのです。具体的には、「『学び合い』は本当かは私も自信が無い。でも、君たちの一生涯の幸せを願っていることは本当だ。そして、『学び合い』にはその可能性がある。だから、いっしょにトライしよう」ということを心の底から信じて語ればいいのです。
何かをなそうとするとき、信じることはとても重要です。