■ [大事なこと]『学び合い』の組織
何度も書いたことですが、最近書いてないので書きます。
『学び合い』の実践者のネットワークは全国に広がっています。FBでの『学び合い』グループは教育のグループとしては最大でしょう。
しかし、不思議とは思いませんか?全国的な組織がありません。あるのは各地の『学び合い』の会です。それも、いつでもだれでも作っていいのです。誰に断る必要もありません。結果として同じ都道府県にいくつあってもいいですし、先にできている会の承諾は必要ありません。やりたい人がやればいい。だから、その会の代表や世話人という人はいますが、全国的な組織の役員はフォーラムのお世話係ぐらいではないでしょうか?しかし、それも何らかの会議や個人の任命に基づく者ではなく、手間のかかる仕事を「私がやります」と手を上げ、まわりは「ご苦労様」と思っているだけ。当然ながら何の権限もありません。それは各地の代表や世話人も同じです。さらに当然ながら全国レベルの代表、世話人、会長はいません。
私が会長だと思っている方もおられるかもしれません。でも、違います。『学び合い』の古手の人は上記のことを知っています。だから、全国大会のフォーラムで私を紹介するときは「上越教育大学教授 西川純」で「西川会長」ではないでしょ?
『学び合い』ネットワークの中でも役割の重さ、影響力の大きさは一人一人違います。しかし、一般社会とは違って、何らかの組織図によって定められているものではありません。何年、『学び合い』を実践しているかではありません。出身大学・研究室によって定められているもではありません。それは、その人が今までに何をなし、今何をなそうとしているかによって定まる「敬意」によって定まるものです。まあ、「あの人がそういうだったら、そうしよう」というものです。
SF作家のホーガンが描く「断絶への航海」のケイロン社会が、私の思い描く脱工業化社会の理想像としてあります。だから『学び合い』の全国大会であるフォーラムを開催した頃から一貫して固定的な組織を作ることを拒否していました。そして、その意味を多くの方々に語り続けています。
固定的な組織がなければ維持できないようなものであるならば維持しなくていい。時代の必然性があれば、固定的な組織がなくても維持・発展するはずです。だから、日本で一番小さい国立大学の一人の教師が始めたことが日本中に広がっている。
http://manabiai.g.hatena.ne.jp/jun24kawa/20150815/1439592516
■ [大事なこと]多様性
最近は前に比べれば少なくなりましたが、私のいるところで実践発表される方が「西川先生には違うといわれるかもしれませんが・・・」とか「西川先生から叱られると思いますが・・・」と言ってから語り出す方はいます。しかし、絶対にそんなことはありません。
全国の皆さんに、古くからの『学び合い』実践者の方、西川ゼミのOB/OGの方に申します。私がブログ等でそんなことしたこと一度でもありますか?いや、酒席の雑談でも言ったことはありますか?「無い」と断言します。色々な方から「○○さんの『学び合い』は西川先生のとは違いますよね」と言われることは少なくありません。私は「たしかに私とは違う(もしくは「私の趣味とは違う」)。でも、現実の子どもを目の前にしているのは○○さんだ。だから、きっとそれが正しいと私は思います。どちらが正しいかは時間が決める。もし、○○さんのがよりよいと思ったら、その瞬間に私は過去の自分を捨てるよ。『学び合い』はそうやって脱皮して、成長したのだから。世の中には色々な人がいる。入り口は多様の方がいい。我々が願っているのは一人も見捨てない教育と社会なのだから。」と言っているはずです。私のこのスタンスはぶれずに一貫しています。
第一、我々は子どもに対して「多様な人とおりあいをつける」ことが大事だと教えているのです。みずからがそうしなければ。
追伸 ちなみに社会科学である教育学、その実践である教育において「正しい/正しくない」を最終的に決めているのは論理的な結論でもなく、自然でもありません。どれだけの人がそれに賛同し、社会を変え、その影響が永続するか否かによって定まるものだと考えています。と思っているので、学術論文のみならず、教師用・保護者向けの本を書いています。
■ [大事なこと]新規採用者
教師の方だったら、人生で一番大変だった年はいくつですか?
おそらく、新規採用の1年であることを上げる人は多いと思います。
何も分からず、いきなり担任、校務分掌、部活顧問を任される。冷静に考えれば、無茶ですよね。だったら、時間講師で始めることもありだと思います。
■ [お誘い]愛知・名古屋の会
8月21日に名古屋で『学び合い』の会が開かれます。お誘いします。https://www.kokuchpro.com/event/5247f4abda19203558324e520644d606/
■ [大事なこと]道徳
教師の発言・板書が大部分を占めている今の授業での道徳は無意味です。今の授業でできるのは「そうすべき」と思わせることです。でも、「そうする」にするには主体的・対話的な授業であり、『学び合い』しかそれができないと思います。
何故でしょうか?それはホモサピエンスの生存戦略に根ざしています。
考えてみてください。「いじめ」が駄目なことはみんな知っています。知らない子どもがいると思いますか?でも、「いじめ」は無くならない。その子どもたちに、もう一度、「いじめ」は駄目であることを教師が語って変わると思いますか?絶対に変わりません。
人がどのような行動をするかは、正しい/正しくないで決めません。自分が所属している集団の多くがどのように行動するかで決まります。なお、いつもながら根拠俺で私は書きません。詳しくは、「理科だからできる本当の「言語活動」」(東洋館)の第2章、「『学び合い』道徳プラン」(明治図書)の第1章をお読みください。
■ [大事なこと]アマゾンの採用基準
アマゾンの面接対策(https://gigazine.net/news/20180814-amazon-preparing-interview/)が公開されています。これって非常に合理的だと思います。
アマゾンが求める能力は生得的(つまり生まれつき)ではないことを知っています。トレーニングによって得られる能力だと知っています。だから、公開すれば、アマゾンに採用されたいと思う人はトレーニングします。面接ではトレーニングの結果としてアマゾンが求めるレベルに達した人を採用すればいいのです。即戦力を獲得することができます。
日本はメンバーシップ型雇用が神武景気からバブル崩壊までは続いていました。その場合は自社に合わせるのは企業内教育がやっていました。だから、学歴フィルターのようなおおざっぱな方法でよかった。企業内教育がないジョブ型雇用の場合、即戦力を求めます。
日本でもこのような雇用が広がれば、無節操な併願はできなくなりますね。
私はこの記事を読みながら、今後は大学入試もそうなるだろうし、そうすべきだと思いました。最低限の学力保証は新テストで足切りしたらいい。というか事前に応募条件にそれを明記すればいい。2次試験の午前にスマホ使い放題の記述式問題を課します。午後に面接をするのです。面接まではスマホは利用不可にします。そして、記述式問題、面接の傾向をアマゾンと同様に公開しているのです。
今の大学の3ポリシーは似たり寄ったりで美辞麗句が並んでいます。しかし、尖った3ポリシーでなければ企業は学歴フィルターではじくかもしれません。偏差値ではなく。第一、偏差値の信用性は2020年以降、暴落しますから。