面白い授業、わかりやすい授業では子どもの一生涯の幸せを保証出来ません。何故なら、それによって子どもに与えられるのは、最大限で、教科の力と教師との繋がりです。しかし、それらは彼らが60歳、70歳、80歳になった時の幸せを保証出来ません。若いときから老齢になってからの幸せを保証出来るのは、多数で多様な知人なのです。それを得られるのは学校しかありません。ならば、学校で多数で多様な知人を得られる教育をすべきです。それには教師が前面に出た教育は不可能で、一歩引かなければならない。
『学び合い』に対してとやかく言う人の言説は、常に教科の力のレベルに留まっています。大人になってからの幸せを決めるのは自分であることを自覚していません。