今日は酔いました。ですので、くだくだと書きます。実はないので、スルーして下さい。書きたいから、書くのです。
ある人から、私がぶれない理由を聞かれました。
それは、私が高校教師の時、それも「たった2年間」で奈落に落とした子ども達への贖罪です。私は人気のある教師でした。暴走族相手に物理の授業を成り立たせるテクニックもありました。青春ドラマのようなこともしていました。でも、救えなかった。大学に異動して分かりました。多くの教師が目指しているカリスマ教師のような私が、子どもを奈落に落としたことを。
高校に勤めていたときは毎日です。大学に勤めてからも、最初は毎日です。夢に、教え子が出るのです。全員、ニコニコして私とじゃれるのです。私は涙を流して、「ごめんなさい」を言うのですが、ニコニコしています。だから、なおさら罪悪感が募ります。私との関係は良好だったけど、彼らに仲間を与えられなかった。
高校から大学に異動して三十年以上たちます。教え子の夢をみることの頻度は下がりました。でも、今でもあります。その度に、私は涙を流して、「ごめんなさい」を言うのですが、ニコニコしています。
これは逃れられないのでしょう。業です。
一方、『学び合い』によって、救われている子どもの姿を多く知ることがあります。その時、不遜ながら思います。「この子どもの一生涯の中で幸せだと思える時間を生み出すことに俺は何かを成した」と思います。その瞬間は、嗚咽しながら泣いています。
おそらく、退職しても、教え子の夢からは逃れられない。
願わくば、我々のまいたタネによって救われた子どもの姿をSNSで流して下さい。
それが老後の私の癒やしになります。