『学び合い』研究の初期の謎の一つに、中学校と小学校に差がないということです。
小学校の教師も、中学校の教師も『学び合い』を実践して軌道に乗るのが大体3ヶ月です(『学び合い』のマニュアルが充実している現在はもっと短い)。不思議だったのは、ほぼ全ての教科で『学び合い』を実践している小学校教師も、週4時間程度の中学校教師も、大体3ヶ月です。子どものうける『学び合い』の経験時間が段違いです。
やがて分かりました。私は『学び合い』に慣れ、理解する子ども達の変化が大事だと思っていました。違います。教師の変化なのです。教師の持ち時間は小学校も中学校もそんなに違いはありません。つまり、3ヶ月間の中で同じぐらい『学び合い』を教師は経験するのです。
それが証拠に2年目からは遙かに短い時間で軌道に乗ります。
だから、私の飛び込み授業は2時間でクラスを変えられます。驚くなかれ、私のゼミに入って数ヶ月のゼミ生も2時間でクラスを変えられます。
まあ、信じられないですよね。
手品にはタネがあります。
我々が飛び込み授業を受ける際に条件としていることがあります。
第一に、荒れたクラスであること。出来れば、学級崩壊であることが望ましい。
第二は、異学年でやりたいです。
いずれも、一般の教師にとっては難易度を上げているように思います。違います。
我々は集団でものごとを考えます。一人の教師の差は大きいですが、30人の平均的姿は大数の原理で収束します。荒れているクラス、学級崩壊しているクラスの問題は子どもではありません。教師です。だから、まともなことを言えば、クラスをリードする子どもは理解します。その子どもが変われば、8割強の子どもは変わります。
子どもが反発しているのは対教師であって、後輩ではありません。
やんちゃな子どもも後輩の前ではバカになりません。
教師の言葉に反発する子どもも、同じ集落の年長者には従います。
この理屈を私のゼミに入って数ヶ月、教育実習にもいかない学生は理解していません。しかし、それを信じている集団の中に浸れば、「そうなんだろうな」と思います。そして、迷いなく語れば、子どもは動きます。
私にとっては当たり前のことが分からない理由も分かります。いつかは分かります。
嘘だと主ならば、ゼミ生にオファーを出してい下さい。その学校で一番手のかかるクラスを2時間で魔法のように変えます。日本中には、西川の化けの皮を剥がしたいと願う人は少なくないです。でも、私は1mm不安がないです。