西川ゼミには色々な人が集まります。
順不同です。
西川ゼミに入りたくて、本学を入学した人です。凄いのは高校3年生がメールで相談するのです、「上越教育大学に入ったら先生のゼミには入れるのですか?」という人です。これが2,3年に一人います。私の高校3年より意識高い。それより頻度が高いのは大学院を受験する学生さんです。私は確信犯と言っています。
大学院が何かも知らず、とりあえず進学した学生さんは少なくないです。とりあえず入学した後に、自分が何も考えていないことに愕然として、迷う学生さんがいます。西川ゼミのウエルカムの雰囲気で選びます。これは他ゼミを選んだけど、合わなかった、でもどうしたらいいのかハッキリ分からない人も同じです。
何かをやりたいと思って入ってきたけど、一人一人の教員の分析はしていない学生さんがいます。やたら攻撃的に議論をふっかけます。私は、一つ一つ、丁寧に論破します。そして、入る学生です。
もの凄く多様ですね。でも、私にとっては誤差です。確信犯の人も、西川ゼミのすごさは分からない。結局、入ってみないと分からない。だから入った当初のことはどうでもいいと思っています。大事なのは出てからです。マジョリティと生きるか、イノベーター・アーリーアダプターとして生きるのか?ゼミ生がどの選択をしても、私は良いのです。私の管理下は、私は最善を尽くします。でも、卒業後は、その学生がどれだけ志のある人と繋がるかに関わります。そして、私は、日本を変えるためのことをすることが、その子ども達を守ることだと思っています。
教師は個は変えられない、集団を変えることが出来る。そのセオリー通りのことをやっています。
追伸 数ヶ月に1度は過去のゼミ生のSNSの発信を見ます。何もしません。そして、教師の出来ることの限界を再確認します。教師の出来るのは、子どもの邪魔をしないこと。願わくば出来ることは、多様で多数のネットワークが有効であることを2割弱の子どもに伝えること。