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お手並み拝見

 2019年に「人生100年時代を生き抜く子を育てる! 個別最適化の教育」(https://amzn.to/47g61P8 )という本を出版しました。出版後、直ぐに県立の通信制高校(狭域通信制)の校長からクレームが来ました。本ではN高等学校等の私立の通信制(広域通信制)における個別最適化した教育と、それを可能にしている通信制高校の例外規定を紹介しました。学習指導要領のこの例外規定によって、学習指導要領の縛りから大幅に外れることが出来るのです。その校長は「それは間違ってい」るというクレームだったのです。

 出版社からは、「例外規定は正しいのですか?」と確認が来たので、規定を示し正しいことを伝えました。その校長からのクレームを読むと、法的に誤っているということではなく、教育的に誤っているという指摘でした。校長は通信制の生徒にも全日制と同じ教育を施すべきだと考えているようです。だから、例外規定があることは分かっているが、それを使うべきでは無いと考えているようです。

 同時化・規格化・中央集権化のコードに縛られている工業化社会人には、非規格化を可能とする例外規定は悪と思えたのでしょう。

 義務教育レベルでも不登校特例校では個別最適化した教育は可能です。最近、不登校特例校を学びの多様化校と改称しました。このポイントは特例という言葉を外したところにあります。だから学びの多様化特例校ではなく、学びの多様化校としているのです。理由は、フリースクール等の非1条校への流れが暴走して、文部科学省・都道府県教育委員会の管理外が大きくなるのを嫌い、1条項の中に学習指導要領の縛りから外れた学校を順次増やしていこうとしているのです。

 学校は創れます。しかし、教えられる人がどれほどいるか、それが次のネックになるでしょう。個別最適化した教育では、板書・発問や教材理解は殆ど不要です。社会の流れに対する理解や、マネジメント力が必要です。これは現状の教員養成では殆ど(正確には全く)教えられていないことです。現状の教師の中で、この能力の重要性を理解できる人は僅かです。工業化社会のコードに支配されている現状の教員養成教育で育成し、工業化社会のコードに支配されている現状の学校で長きにわたって教えてきた教員には対応は不可能です。

 文部科学省がアクティブ・ラーニングを打ち出しても、それを理解できる教員を養成していないため、それらは無様に頓挫しました。ただ、頓挫しても工業化社会の教育を求めるマジョリティはそれでいいのです。しかし、現状の教育を厭う子どもと保護者はそれを拒否します。つまり、行政が学びの多様化校を設置しても、最初に紹介した校長のように、多くの教師は現状の教育に寄せた教育をします。それが善だと思っているからです。しかし、そんな教育であれば、子どもと保護者は学びの多様化校を捨て、文部科学省・都道府県教育委員会がコントロール出来ない非1条校に流れてします。

 どうすれば良いでしょうか?

 一つの答えはN高等学校やN中等部のような広域通信制で選択している方法です。それは中心となる教師は教員免許状の所持は求めず、これからの社会に対する洞察力やマネジメント力に基づいて採用するのです。が、工業化社会人の文部科学省や都道府県教育委員会は、ま、飲めないでしょう。だって、教員免許は文部科学省の基本的な権益なのですから。

 妥協策として、教員免許状の持っている人の中で個別最適化した教育が出来る人を学びの多様化校に配属するのです。そんな人いますか?います。『学び合い』の実践者です。授業レベルの『学び合い』の実践者だったら、学び方の個別最適化した教育は可能です。更に言えば、考え方レベルの『学び合い』の実践者だったら、学習内容の個別最適化した教育は可能です。

 以上によって応急処置は出来ます。

 本質的な解決策は、教員養成教育を根本的に変えなければなりません。しかし、それは現状の教員養成系大学・学部の10万人を超える教員の生首を切ることを意味しています。それは出来ません。段階的な移行でも20年はかかるでしょう。そして、それらで育てられた教員が増大するには30年はかかるでしょう。しかし、子どもと保護者はそれを待ってくれるとは思えないのです。

 ということでチェックメイトです。

 最高学府を卒業した教育行政の市場占有者のお手並み拝見です。
 追伸です。もう一つの未来もあります。経済産業省あたりの非文部科学省が、非1条校をコントロールするのです。こちらの方が自然のように思えます。その方が、脱工業化社会に活躍できる人材養成が出来ます。