私の人生において、高校2年の冬まではノーストレスです。それまではずっとやりたい放題でした。冬に英語の偏差値27という現実に向き合い、それから受験勉強しました。なんとか、筑波に受かり、2年間はパラダイスでした。しかし、3年になって進路に悩み、学部卒業後に、自分の喜びの中で「酒」以外を全て封印しました。
それから全ての時間を研究に費やし、高校教師になってからは教材研究に費やし、大学教委員になってからは研究に費やしました。一日13時間を自らに課しました。禁煙と同じで、最初は苦しいですが、続ければ辛くない。
ということで、ノーストレス状態になりました。その中で学術研究を挙げ、多くの学会から賞をいただきました。
結婚して、優先すべき伴侶が生まれました。ありがたかった。私というくずを拾ってくれる人がいたから。でも、「もう少し時間をかければ、論文が仕上がるのに」という思いはありました。子どもが生まれてからは、私の研究の時間はほぼ無くなりました。最初は辛かった。しかし、やがて息子や伴侶の時間を大事にすることは私のためだと本当に納得しました。
折り合いを付けた日常を積み上げる中で、生き方レベルの『学び合い』に到達しました。そうなると、職場も、日常もノーストレスです。
例外は息子です。息子は今もがいています。40年前の私と同様に。世間知を知った私は、ああすればいい、こうすればいい、という妄想に悩まれます。私生活、毎日の生活、老後に関して、まったくストレスが無くなると、息子のことを考えるとストレスです。
慌てて言いますが、息子の方が、私より10倍まともです。これは感覚的では無く、データ的です。と、分かってもストレスです。正直、この5年間のストレスの過半数はそれです。
昨日の夜、床にはいてから、息子の将来を考えました。平生、ノーストレスにとってはかなり辛い。しかし、3.11の放送を聞いているうちに悟りました。「息子は生きている」と。そのことを意識したとき、それ以外のことはどうでもよくなりました。息子が生きていることの幸せが私を包みました。
以上が親馬鹿言明です。
以下は、若い人に対してです。
あなたがたは生きているだけで親孝行なのです。何をなさなくても、親孝行です。あなたがたが生き続けた結果が、我が子の幸せと、親は思います。