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2002-11-26

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 昨日は筑波大学附属中学校で講演をしました。きら星のごとき先生方を前に、極めて緊張しました。講演の後、質疑応答の時間を設けました。大抵の講演の場合、司会者が「何かご質問はありませんか?」と問いかけても、会場がシーンっとなってしまうのが通例です。そのため、私の方から指名して「何かありません?」なんてお節介なことをします。しかし、今回の場合、質問・意見がボンボン来ました。それも、本質を突く、ズバッとした質問なので、正直、ドキドキしました。

 歴代OB・現メンバー研究成果をもとに、それなりに回答することが出来ました。しかし、反省点が二つあります。第一は、いつもながらの私の表現方法です。色々の方から、私の表現は若い先生に誤解を与えるとのご指摘をいただきました。また、「分かりやすい授業」、「面白い授業」に研鑽されている先生に対して、それを否定しているようにとられる場合がありました。いずれの場合も、補足説明をし、お詫びを申し上げました。

 第二は、「私語」についてです。ある先生から、「子どもたちの私語を信じたいが、信じられる方法はあるか?」という質問を受けました。その時点では、「子どもたちが、私語でどんな話をしているのを知るには、我々がやっている方法(即ち、数十台のビデオカセットを使って数ヶ月記録し、分析するという方法)しかないでしょう」と答えました。しかし、帰りの電車の中で、「もう一つ付け加えるべきだったな」っと反省することしきりです。

 確かに、子どもたちがどのような私語をしているかを、直接知る方法は、とても手間のかかる方法です。とても、現場の激務の中でがんばっている先生には出来ない方法です。でも、現場先生でも出来る評価方法があります。それは、最終的な成績を見ればいいのです。つまり、成績が上がっているなら、良い私語をしており、成績が悪いならば悪い私語をしていることを意味しています。そして、子どもたちには、最終的にテストで評価することを言って、任せれば良いんです。

 課題が出来ない場合、出来そうにない場合、学生さん・院生さんは、「先生、頑張ったんです!」と言います。確かに頑張っていることはよく分かっています。しかし、それに対して私がいつも言うことは、「頑張らなくても良いんだよ。遊び回っても良いんだよ。結果さえ出してくれれば。」です。西川研究室の面々なら、何度も言われた経験があると思います。西川研究室では、どのような目標を立てるか、ということに関しては、徹底的に話し合います。しかし、どのようにやるか、に関しては、基本的に任せています。もちろん、相談には乗ります。しかし、最終的には学生さん・院生さんに任せています。こちらとしては、節目節目に、結果を出してくれることを求めるのみです。それでうまくいっています。

 大学でも何度も改革が行われました。しかし、不遜ながら徹底していないように思います。その原因は、方法は問われるが、評価はしない、ということに起因すると思われます。その背景には、具体的な目標を立てていないことに由来していると思われます。例えば、大学目標はたいていの場合、毒にも薬にもならないもので精神的なものばかりです。具体的には、その目標が達成されたか、しなかったかを客観的に評価する方法がない目標です。ところが、方法に関しては、えらく具体的・詳細です。それも、ナイーブ(素人的)な仮説に基づくものです。たとえば、○○をすれば、■■になるはずだという仮説なんですが、それを実証するデータに欠けたものです。なぜ、実証的なデータに欠けていると思うかと言えば、私が「それを示すデータを出して下さい」と言い出すと、烈火のごとく怒り出す人がいることから分かります(出せるならば、怒る必要はありませんから)。結果として、根拠薄弱な方法に、準拠しているか否かのみが評価の対象となります。つまり、目標が達成されたかが評価されるのではなく、方法に従っているかが評価されます。そうなれば、評価される側は、目標の達成を目標にするのではなく、言われた方法に従っている「ふり」をすすればいいことですから。これでは、改革がなされるわけありません。

 授業も同じです。私語をしているか、していないかは教育目標ではないように思います。重要なのは学習が成立したか、否かです。そうであるならば、教師は学習が成立したかを評価すればいいことです。もし、その学習において私語が有効だと学習者が判断すれば、学習に有効な私語をするはずです。バカみたいな私語ばかりすれば、学習が成立しないのは、だれでも分かります。そして、評価において、それが白日にされるのも分かります。一方、授業中静かであるということを評価対象とすれば、子どもは静かに聞いている「ふり」をするだけです。だから、子どもたちと目標を共有し、それを教師がしっかり評価すれば良いんです。つまり、「しゃべってもいいんだよ。結果さえ出せば。」というところです。

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 日曜日に、歯の詰め物がとれていることが判明しました。月曜日講演会だったので、本日行ってきました。緊張しました。いすに座って診察。先生が、「土台はこのままでいいね。型取るからね。」と言われホッとしました。おかげでクイーンという音を聞かずにすみました。しかし、型を取られる際、タオルで目を隠されたので、よけい緊張しました。でも、なにもなく15分程度ですみました。来週、詰めてもらえれば終わりです。十年ぶりの歯医者です。とにかく怖かった!