■ [大事なこと]モーツアルトのパトロンは?
皆さんの中でモーツアルトのパトロンが誰だかご存じなかたいらっしゃいます?ザルツブルグのコロレド大司教、スヴィーテン男爵などがいますが、知っている人って少ないですよね。でも、モーツアルトはそのパトロンの前ではペコペコしていたし、パトロンにとってはモーツアルトなんて下僕の一人に過ぎなかったと思います。しかし、100年を超えるとパトロンは忘れられ、モーツアルトは残ります。今の地位関係はうつろいやすく、残るのは実際にやったことです。もちろん、パトロンは俺がいたからモーツアルトがあったとでも言いたいでしょう。でも、そうであるならば、そのパトロンのもとにモーツアルトレベルの人が何人もいたはずです。例えば、ボーアの研究室から、その後にノーベル賞をとる研究者が輩出されました。それゆえボーアは研究者としてのみならず、研究室主催者としても有名です。もし、モーツアルトのパトロンがそうでないならば、パトロンの役割は、単に、その位置にいたに過ぎないと言えるでしょう。
上役で悩む人は少なくありません。でも、つまらん上役は退職すれば単なる「おっさん」、「おばはん」に過ぎません。数年前のある日、一昨年まで某大学の学長をしていた人を新幹線で見かけました。薄汚れた服装のその人は、権力のオーラを失い、ひからびた惨めなジジーとしか見ることは出来ませんでした。他山の石として、強く記憶に残りました。
ニールス・ボーア(1885~1962)デンマーク・コペンハーゲン生まれの科学者で、「ボーアの量子条件」を若干27歳で発表し、1922年にノーベル物理学賞受賞しました。コペンハーゲンに理論物理学研究所を設立。自ら所長を務め、世界中から集まった若い物理学者たちの指導にも力を注きました。ボーアの弟子たちは師匠の初期の理論を乗り越える研究を次々に行いますが、彼はそうした人を特にかわいがる人でした。彼の弟子たちはコペンハーゲン学派と呼ばれ、その中にはハイゼンベルク(1932年ノーベル賞授業)、ディラック(1933年ノーベル賞受賞)など、そうそうたる人が含まれます。一般的には知られていませんが、ボーアはサッカーが得意で、若い頃にデンマーク代表としてオリンピックで銀メダルを得ています。天から二物も、三物も与えられる人っているんですね。