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2003-10-24

[]テクニックの罠 21:56 テクニックの罠 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - テクニックの罠 - 西川純のメモ テクニックの罠 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 昨日は実践研究に現任校に戻っている修士1年の現職の方が上越に戻ってきました。そして、私と個人ゼミをしました。その話の中で、我が研究室メンバー(実は私自身も)でも陥りがちなテクニックの罠というものを意識することが出来ました。

 子どもたちを学ばせようと意気込んでいったのにも関わらず、子どもが思うとおりいかないと焦ります。子どもたちが自らの力に気づき、そして動き出すまでには、意図的に場を設定したとしても、時間がかかります(大抵は2~4週間)。それが分かっていても焦るものです。その院生さんは、我々のOBの実践データを持っているので、そのOBがどのようにして子どもたちを学び合わせたのかを知りたがります。しかし、それは単にテクニックに過ぎません。基本は「子どもは有能だと信じる」ことなんです。そして、教師の仕事の第一は、目標を語り、納得させるという授業観なんです。その子ども観・授業観を持って各人が考えればいいことなんです。

 例えば、大学講義における私の場合は、教室の外に出てしまう、という大技をします。そうすると、はじめは固くなっている学生さんが自由にグループで話し合うようになります。そうなって、教室中がうるさくなったぐらいに、そ~っと教室に戻ります。そして、後ろの席でニコニコしているんです。しばらくすると、私が戻っていることに気づいた学生さんが、どきりとして私の方を見ますが、私がニコニコしているので、またワイワイとした議論に戻ります。つまり、教師である私という縛りをはずし、それによって表出した自由な姿を、私自身が認めていることを可視化しているんです。でも、この方法が唯一の方法ではありません。例えば、OBのMさんの場合は、子どもがどんなことをやりたいと言っても、駄目とは言わず、かわりに「その方法が一番効率の良い方法なの?」と問いかけることを繰り返します。またOBのK閣下の場合は、「とぼけ」、「ほめ」、「つぶやく」を織り交ぜる方法を行います。つまり人それぞれなんです。そして、重要なのはその方法が重要なのではないと言うことです。例えば、私の「部屋を出る」という方法でも、何も考えずに、それをやれば100%の授業崩壊に繋がります。私の場合も、「部屋を出る」前に、十分に教材や語り口で引きつけ、聞くに足る教師であることを納得させます。そして、自分が大事に思っていることを、分かり、共感して貰うように、何度にも分けて語ります。それがあるから「部屋を出る」という方法が生きるんです。

 そうなると「自分が大事に思っていることを、分かり、共感して貰う」にはどうしたらいいか、ということを教えてくれということになります(ただし、我が研究室メンバーは聞かないと思いますが)。そのように聞かれたら、「そんなこと聞かないでくれ。そんなことは勉強して分かるものではないし、既に知っているはずだ」と答えるでしょう。「自分が大事に思っていることを、分かり、共感して貰う」ということは、教師の特殊技能ではなく、人であれば持つべきであり、持っている能力です。例えば、プロポーズが代表的な場面です。私も一人の女性現在家内)に「自分が大事に思っていることを、分かり、共感して貰う」ことによって、その人の一生の多くの部分を私に「賭けて」いただきました。だから、「自分が大事に思っていることを、分かり、共感して貰う」にはどうしたらいいか、なんて聞かれたら、「女性の口説き方」の本(女性の方は「男性の口説き方」)でも読みなさい、とても言うべきなのでしょうか?でも、読んでみれば分かりますが、一皮むけば、「口説き方」本に書いてあるものは常識的なものばかりです。でも当たり前です。「女性の口説き方」(もしくは「男性の口説き方」)を特別な学習をしなければ得られないとしたならば、人類はとうの昔に絶滅しているはずです。

 テクニックに走り、子ども観、授業観がなければ、結局、失敗します。重要なのは子ども観、授業観です。それを基本として忘れず、人類の生まれつき持っている能力によって子どもと接すれば、問題は解決出来ます。ただし、それを信じ切れず、安易にテクニックに走るのが、「テクニックの罠」なんです。