■ [大事なこと]理想の校長(その2)

昨日の「理想の校長」というメモに対して、OBやその他の先生から少なくないレスを頂きました。教師にとって校長の当たりはずれが重要であるため、敏感に反応していただけたのだと思います。その方々への返信を書きながら、もうちょっと補足しなければならないなと言うことが2つほどありました。
第一は、目標の設定の部分です。こう書くと、最初の職員会議において、「本校の目標は・・・」と演説する校長が望ましい校長だと誤解されます。しかし、演説することは、重要ではありません。重要なのは、職員一人一人および職員集団に正しく理解され、共感を持ってもらい、自分の目標になるか否かです。一言で言えば目標が共有されることです。具体的現象としては、職員集団が何かをやる時、そのことに関して、「校長は気にしないか、嫌に思うか、喜ぶか」に関して話し合った時、みんなの意見が一致し、そして実際の校長の反応に一致するようになります。人からやらされているのではなく、人を利用してやっていると思うようになります。もし、校長がその心の中に目標を持っていれば、特段の演説が無くとも、普段の言動で職員は察します。どんな校長にも心の中に目標があるはずです。ただ、その目標は「もっと出世したい。業績を上げたい。」レベルの志のみで満たされているならば、それと気づいた職員はやる気を失ってしまいます。結果として共感されません。また、陳腐な教育論や、教条的な教育論、小役人的な教育論であっても同様でしょう。
書き加えたい第二は、西川研究室との違いです。あるOBが以下のようなメールを送ってくれました。
『暖かくない校長は、目標の提示も、評価もしていますが、方法を語りますし、結果もきまっています。彼が言った方法で、彼の予想している結果を出すしかない。そして、その独りよがりの結果は彼の満足や功績のためにあることが見え見えです。だから、そのような校長の下では、職員はやる気が出ないのだと思います。
西川研究室も、厳しいという点では似ている点がありますが、根本的に違う点は
・暖かい(これは、渦中にいると気がつかないこともありますが・・・)
・方法が任されている
・結論で何が出てくるか、わくわくする気持ちを西川先生と共感できる。
・志を同じくする仲間が有機的につながっている。』
これを読んで、嬉しくなりました。同時に、自責の念に駆られます。暖かくない校長の姿は、かっての私の姿であり、今の私の中の奥底にまだ残っている私の姿です。他山の石として利用し、自戒したいと思いました。 同時に、「暖かくない校長」を哀れと思います。だって、かっての自分と比べてみて、今の自分の方が数段(いや百段)楽しいです。だって、あれこれ方法を考えなければならず、そして、それに対して責任を感じ、失敗したら・・と胃を痛くする必要性がありません。さらに、思った通りの結果が出て、「そ~ら思った通りだ、やはり俺は天才だ!」と思うより、予想も出来ない結果を知り、「俺はいままで何てバカだったんだろう」とウルウルする方が、ず~~っと嬉しい。